宇美町立原田小学校 3年 木山 栞さん(9歳/福岡県宇美町)からの手紙
小松 あき子先生へ
一年生の先生
『先生あのね、先生が原田小学校からいなくなるってお母さんに聞いて私はびっくりしました。
先生と3組のみんなでフルーツバスケットをしました。まこちゃんとみずき君が負けてしり字を書いた時、先生は大わらいをしていましたね。先生のえ顔が大好きでした。
先生といっしょにやったおべん強の中で一番楽しかったのは百マス計算です。
先生がこんど行くうみ小学校には、私のようち園の時のお友だちがたくさんいます。早くなかよしになってくださいね。
でも先生、私のことをわすれないでね。3組のみんなの事もわすれないでください。
新しい小学校へ行ってもいつまでも元気でいてください。』
先生、おぼえていますか。これは私が1年の時、先生とのおわかれ会で、先生の前で読んだ作文です。
私は今3年生です。新しいお友だちができました。はじめて男の先生になっておもしろいです。算数の計算がとく意で、この前の計算コンクールでひき算を1問まちがえて399 点でした。私は400点をとれなかったからくやしかったです。
この前ぐうぜん先生とあった時、先生は3年生のたんにんをしているといってましたね。私のようち園の時のお友だちが先生の組にいるかもしれませんね。
4月になったら4年生です。4年生になったらクラブがあります。私がはいりたいクラブは料理クラブです。しっぱいしないようにがんばります。
先生またあいたいです。私を見かけたら声をかけてくださいね。まってます。
あっ大切なことを言いわすれていました。「先生、ありがとうございました。私は今でも小まつ先生が大好きです。」
福岡市立南当仁小学校 4年 立石 拓也さん(10歳/福岡市中央区)からの手紙
三浦 吉十さん(福岡の画家でつい最近なくなられた方)
「ありがとうの手紙」
「絵は、自分の心を豊かにし、いやなことを忘れさせてくれる。」
この言葉を聞くと、心がいたみます。ぼくが、先生と出会ったのは、1年前の似顔絵コンクールの時でした。コンクールが終わって何日か後、三浦先生がなくなったということを母から聞きました。ぼくは、あの日出会ったのが最後だったなんて、とても信じられませんでした。笑顔いっぱいでぼくたちに絵のすばらしさを教えてくれたのは、今でも覚えています。
もしぼくが先生と同じ状況だったら、そんな風にできないと思います。きっと子供たちになんか話さないでもっと楽しいことをやっているでしょう。
今、自分を殺してしまう人がふえてきていますね。その人たちは好きでやっているのに三浦先生の場合は、生きたいのに生きられませんでした。なぜ生きたいと思う人は長く生きられないで、命をむだにする人が長く生きられるのかいつも不思議に思います。そうやってぼくの身近の大切な人が死んでいってしまいました。できることならば、命をむだにする人と、三浦先生のように命を大切にする人の命を交かんしたいです。
ぼくは、三浦先生が絵をもっとかきたい。みんなに絵のすばらしさを教えてあげたいと思いながら死んでいったと思うとなんだかむずむずしてたまりません。だからぼくは、画家になって三浦先生の代わりにたくさんの子供たちに絵のすばらしさを教えてあげたいです。
あと少ししかない命を使って、ぼくに絵のすばらしさを教えてくれてありがとうございます。天国へ行っても大好きな絵をかき続けてください。さようなら
福岡市立原北小学校 4年 ローヴァット 理緒奈さん(10歳/福岡市)からの手紙
じーじ、ありがとう
じーじ、毎日暖かいですね。天国はどうですか。休みの日や、お盆の日などは、長崎の佐世保に帰って、じーじに会いに行ったんですよ。
じーじが入院している時、部屋に入ると、じーじがにこにこしながら出むかえてくれました。
じーじはよく耳が聞こえなかったので、私が紙にペンで書いて話していました。学校のことや、ピアノをどのくらいひけるようになったか、じーじが元気になったら、どこに行くかとか、いろいろ話していました。
あと、初めて補聴器をつけた時、眠っていると、「ガァ、ガァ。」と自分のいびきの音が聞こえてびっくりして起き上がりましたね。その時はとてもおもしろかったです。
何日かたつと、夜中に電話が…。ばーばからの電話で、急いでじーじがいる病院へ、駆け付けました。
そこには、目をつぶったじーじがいました。
思わず私の目から涙がポロッとでてきました。かなしくて、わんわん泣きました。
ちょうどその電話の前の日に、じーじに手紙を書いていたとちゅうで、もうちょっと早く書いとけばなぁと思っています。
だからかんおけの中にいれときましたよ。
読んでくれましたか。じーじの大好きなこちょうらんもいっしょに。
じーじ、本当に今までありがとうね。
私をずっと、ずっと、見まもっていてくださいね。大好きだよ。
福岡市立原北小学校 4年 徳重 絵里奈さん(10歳/福岡市)からの手紙
アヒルのピーちゃんへの手紙
ピーちゃん、お元気ですか、今でも大きな声でガーガーと鳴いていますか。
初めて会った時は、黄色いポワポワの体で洗たくバサミ形のくちばしで、ピーピと、鳴いていましたね。
半年ぐらいで、黄色のポワポワした毛が真っ白い羽にかわって、ガーガーと、もうりっぱな大人の声になっていたね。
見かけは大人でも、さびしくなった時、「グワァ、グワァ。」と、大声で人を呼ぶのは変わらなかったね。
そんな時、一緒にお散歩に行くと、ずっと小走りで、どこまでもついて来てくれたね。
あんまり大声でさわぐので、お母さんから「うるさいだけだったら、食べちゃうぞ。」とおどかされた次の日、大きな卵を1個産んだね。よっぽど恐かったんだね。
私たち家族は、ピーちゃんはオスだと思っていたので、とても驚いたよ。
それからほとんど毎日1個ずつ卵を産んでカレンダーにつけた、卵の数は、682個になったよね。
ただそばにいて遊んでくれるだけでいいのに卵まで産んでくれるピーちゃんは、世界一のアヒルです。
私はそんな毎日がとても大好きでした。こんな、楽しい生活がずっと続くと思っていました。でも、日がたつにつれて、どんどん歳をとっていき、歩くのがやっとになり、とうとう目をつむったまま動かなくなってしまいましたね。
5年間も、ずっと一緒だったピーちゃんが死んでしまうなんて、信じられませんでした。
もうあの私を呼ぶ元気な声が聞こえてこないと思うと、とても悲しいです。
でもきっと、天国のアヒルの国の池で、友達と楽しく遊んでいるよね。
今までありがとう、ピーちゃん。
福岡市立原北小学校 4年 秋吉 萌加さん(10歳/福岡市)からの手紙
私をむかえてくれたベッちゃんへ
天国で元気にしていますか、ベッちゃん。ベッちゃんがおばあちゃんちにいた時は、すばしっこくて、元気のいい声で、「ワンワン。」と、鳴いていましたね。私は、その鳴き声が大好きでした。
ベッちゃんは、おばあちゃんの家でかわれていてポメラニアンの小さなかわいい犬でした。
私がおばあちゃんの家に遊びに行くと、「ワンワン。」と、近よって来て、私の周りを忙しくうれしそうにぐるぐる回ってくれましたね。
ベッちゃんは、いつもクッションの上にちょこんと座っていて、その姿がまだ心に残っています。
ところが、ベッちゃんは、ある日死んでしまいました。私が5ー6の時でした。
それから数年たった今、私はしみじみ思いました。
まず思ったのは、私の生き方と比べて、犬の一生は、とっても短いなぁと思いました。
そしてベッちゃんに、「私の事忘れないでね。」と伝えたいです。
それでもう一つ願った事は、おばあちゃんちにいた時と同じように元気で、すばしっこく、天国でくらしている事を願っています。
そして、私がベッちゃんに言いたい事は、「いつも、私がベッちゃんちに行った時、出むかえてくれて、ありがとう。そして周りを明るくしてくれてありがとう。」です。
ベッちゃん、天国でも元気ですごして下さいね。
そして、私や家族をいつまでも忘れないでね。萌加より
福岡市立原北小学校 4年 高橋 大希さん(10歳)からの手紙
机と椅子いままでありがとう
1年間使っていた、茶色い学校の机と、すわる所が茶色で、足が鉄の椅子(いす)、いままで、本当にありがとう。
4月に初めて会って今までいた、机。
最初は、ピッカ、ピッカでツヤがあったのに、今の机は、ちょっと、古くなってしまって、色のツヤもなくしてしまってごめん。
でも、大事にしていたつもりだよ。
きたなくなってしまって本当にごめん。あと1ヵ月だけど、できるだけきれいにするのを心がけるから、これからもよろしくお願いします。
最後に言うよ。本当にありがとう。
次は、椅子にかんしゃするよ。
だって、1年間も、ぼくの体を持って、落ちないようにしていてくれてたんだからな。
椅子って、小さいのに、力がいっぱいあるんだな。
そして、体はかたいけど、すわりごこちがとてもよい椅子。
あと、約1ヵ月の間だけだけど、よろしく。
そして、大事に、きれいに、ていねいに使うからね。
今まで本当にありがとう、椅子。
これからも、いつまでも、ピカピカとしていて、きれいで、使っている人を、勉強しやすくしてくださいね。
椅子もピッカピッカの椅子のままでいてください。
あとそれに座っている人に、「この椅子、すわりごこちがとてもいいな。」と言われるくらいにすわりごこちをよくしてくださいね。
椅子も、机も、来年に変わるけど、今度使う人には、勉強のしやすい、いい空間を作ってくださいね。
願いはこれだけ。ありがとう。
福岡市立原北小学校 4年
北原 瑠伊さん(10歳)からの手紙
「ありがとう宮本君。」
宮本君さか上がりの練習、覚えていますか。
体育の時間ぼくと宮本君で練習しましたね。
体育の時間何時間も練習しているのにぼくと宮本君全然できなかったね。
二人とも、足をふり上げる力が弱く「ドテン」と落ちるっていうのは分かっていたけどできなかったね。
ぼくと宮本君の表情はなんか「ハアー」とため息をつきそうな表情。
そんな表情をしていた宮本君だけど「まっ、がんばろう。」とぼくを元気づけるようにして言ってくれたね。
ぼくは、宮本君の言葉のおかげで「ようし」と力がはいってさか上がりを成功することができたんだよ。
でも、あの時、さか上がりができなかったぼくと宮本君だったけれど初めてできた時、ぼくと宮本君で一緒にできたからびっくりしたよ。
ぼくは(これからも仲良くしようね)と、思ったけどこの前大阪に引っ越ししてしまったね。
4の2の一人が転校しただけなのにさみしいな。
大阪の小学校で友達たくさんつくって勉強などがんばってね。
ぼくは、宮本君のおかげで(なんでも、あきらめずに一生懸命やれば必ず成功するという力がついたな。)と、感謝しているよ。
だから、またうまくいかないことがあったら宮本君とやっていたようにあきらめずにがんばるから宮本君もがんばってね。
福岡から大阪まで離れているけどまた会えるよね。その時はいっぱいいっぱい話をしようね。
福岡市立柏原小学校 6年 井上 智晶さん(11歳/福岡市南区)からの手紙
母へ
ありがとうメッセージ
ありがとうと言いたい相手、ふだん言えない相手。伝えたい人はだれですか?
私は、母にありがとうと言いたいです。いつも自分の意見はキチンと言って、家事や委員の仕事もがんばっているからです。
でも、一番母にありがとうと言いた理由は、前向きな姿勢です。落ち込む時は落ち込むけれど、明るくて、いて楽しいんです。
なのに、いつも手伝って、と言われてもしなかったり、イライラしている時には暴言を言った事もありました。
だから、応援やごめんなさい、そしてはげましてくれてありがとう、優しくしてくれて、がんばってくれてありがとうという気持ちをこめて、お手伝いをていねいにしたり、自分から言われずに朝起きたり…。
まだ顔を見て気持ちを伝える事は苦手なので、無言のありがとうメッセージをたくさんできるようになりたいです。
けれど、一番良いのはハッキリと言える事だから、苦手で難しいけれど「ありがとう」と目を見て伝えられるように、なりたいです。
そして、大人になったら、人に喜んでもらえるような、キレイな絵をたくさん書いて、感謝の気持ちを伝えられるようになりたいです。そのために、今からもうちょっとがんばりたいです。
それは「ありがとう」と言われて、すごくうれしくて幸せな気持ちになれたからです。「ありがとうメッセージ」は、人を元気にして、優しくして…。本当の日頃の気持ちを伝える事の出来る、大事なメッセージだと思います。
これからは、あまりありがとうメッセージを使った事が無かった私だけれど、母や家族にも使っていきたいです。
みやこ町立上高屋小学校 5年 中野 美輝さん(11歳/福岡県みやこ町)からの手紙
父
「たった一つの命を大切にしたい」
今、ニュースで「いじめ」「自殺」ということが、毎日のようにあっている。いろいろな学校で起きている。この学校にはないと思うだろうけど、絶対ないとは限らない。もしかして、だれも知らないところで起きるかもしれない。もし、私がいじめにあったらと考えると、つらいし、悲しい。そんなとき、私だったら、おうちの人か先生、そして友達に相談するだろう。「自殺」を考えるって言うことは、それだけつらくて、学校に行きたくないようになっていて、もう、たえきれなくなって死ぬことになったんだろう。でも、すぐに死ぬことを決めたらいけないと思う。だって、命はたったの一つ。たった一つしかない命が消えれば、自分の人生はもうおしまい。私は、そんな生き方はしたくない。せっかくお父さんやお母さんが私を生んでくれて、名前も一生けん命考えて付けてくれたのだから、命を大事にしていかないといけないと思う。お父さんやおばちゃんたちが働いてくれたり、ご飯を作ってくれたりしているおかげだ。
自分の命だけではなくて、家族やおばちゃんたちが亡くなってしまうことを考えたら、どれだけ悲しいだろう。おととし、私が3年生のころ、おばあちゃんが亡くなった。赤ちゃんのころからずっと私と妹たちを一生けん命育てて、かわいがってくれた。9月に犀川の吉川病院に入院した。私はいとこの知ちゃんといつも病院に行っていた。千羽づるを折って、「早くよくなりますように。」と、願いをこめて二人で作った。体調が悪くなり、苅田のおばせ病院へ移った。千羽づるもいっしょに持っていった。そして、12月25日の5時45分ごろに急に息が止まった。急いでお医者さんを呼んだ。みんなでおばあちゃんを見つめていた。私は泣きそうになった。それから5時55分死亡が確にんされた。私は泣きたかった。でも、泣けなかった。それは、亡くなる前、おばあちゃんが私たちのために一生けん命生きようとしてくれていたのが分かったから。私は「今までありがとう。」の気持ちをこめて、笑って天国へ見送ってあげたかったから。だから、おばあちゃんの前では、泣かないようにした。
私は、大事な人が亡くなる経験をしたから、改めて、命の大切さを知った。だから、私は一生けん命生きていきたいと思っている。
お父さん、「美輝」というこんなにいい名前をつけてくれて、ありがとう。いつもは言えないけど、遠い群馬県までトラックで長いきょりを走って、きついだろうけど、いつも仕事を休まないですごいと思っています。私は、これから、たった一つの命を大事にして、どの人も大切な友達と思って仲良くしていきます。
福岡市立柏原小学校 6年 黒川 叶恵さん(12歳/福岡市南区)からの手紙
お母さんへ
一番伝えたい言葉
「ありがとう。」
私がこの言葉を伝えたい人は、お母さんです。私を生んでくれて、ここまで大きくしてくれました。でも私が成長したのは、お母さんの支えだけじゃなく、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんたちの支えがあり、成長したと思います。でも私は一番に、お母さんへありがとうが言いたいです。
お母さんは私が悪いことをすると、すぐにおこります。たまに私は、自分が悪いのに、攻撃的な事を言ってしまいます。私の事を思ってくれていると思うと、なんだか少しうれしいけど、でもやっぱり口答えをしてしまいます。それはなんでか、自分でよく考えて、これからは言わないようにします。
私が一番に気持ちを込めて「ありがとう。」が言いたい事は、毎日毎日いそがしい中、気持ちのこもったおいしいご飯を作ってくれることです。お母さんが作ったご飯にはいろんな味があります。こいかったり、ちょうどよかったり、うすかったり。それでもおいしいので、私はお母さんが作った料理が好きです。
こんなふうに、毎日ご飯を作ってくれたり、一生けん命に働いて、習い事でいるお金を出してくれたりして、私はとてもありがたく思います。これからは、ご飯の準備や、おふろそうじ、皿洗いなどお母さんの手伝いをし、少しは楽にしてあげられるように、がんばります。なのでこれからも、お仕事や、家事をがんばって下さい。
私を今までずっと支えてくれた人、そんな温かい心を持つ人に、私が一番に伝えたい言葉は、「ありがとう。」です。この意味がたくさんつまった言葉が相手の心に、そっと伝わるとうれしいです。
福岡市立柏原小学校 6年 八和田 美咲さん(12歳/福岡市南区)からの手紙
家族へ
ありがとう
「ありがとう」私が今、そう言いたいのは、家族のみんなです。お母さん、お父さん、弟。私がここまで成長できたのは、家族の支えがあったからだと思います。
お母さん、いつも家のことたくさんしてくれてありがとう。仕事がいそがしいのに、毎日笑顔でいるお母さんが私は大好きです。時々はんこうしたりするけど、それでもちゃんと話を聞いてくれて、すごくうれしかったよ。
お父さん、私はいつもおもしろいじょうだんを言ってるお父さんが大好きです。おこると結構こわいけど、それでもたくさんほめてくれていつも明るいお父さん。私のじまんのお父さんです。
秀人、一真。いっつもけんかばっかだけどどれもみんないい思い出だよ。私が困った時は、何だかんだ言って、助けてくれるもんね。
日ごろ面と向かって相手に言えない「ありがとう」。でも心の中ではちゃんと思っているんです。
家族のみんな、これからも支え合って楽しい毎日を過ごしていこうね。
今、家族に言いたい言葉、それは「ありがとう」です。
福岡市立柏原小学校 6年 飯田 帆南さん(12歳/福岡市南区)からの手紙
おばあちゃんへ
天国へのメッセージ
「おばあちゃん、元気にしてますか?」おばあちゃんが天国に行ってから、3年が過ぎました。
私は、もう6年生になりました。私が思い出すおばあちゃんの顔は、いつも笑顔です。笑って、ニコニコしているおばあちゃんの顔しか思い出せません。
そんな優しかったおばあちゃんとの思い出の品には、一針一針私のためにぬってくれた浴衣やお手玉があります。もう小さくなって着られないし、お手玉も遊びすぎてやぶれてしまったけど捨てることなどできません。
おばあちゃんの家に遊びに行くと空き箱やリボン、折り紙などを用意してくれていたよね。私が今、何かを作ることが大好きなのはおばあちゃんのおかげかもしれません。
自由研究をがんばった時や学習発表会でみんなと力を合わせている時の様子を見てほしかったなと思うことがありました。でも本当はちゃんと見てくれているような気がします。
苦手なことでも、おばあちゃんに「がんばってね。」と言われるとがんばれました。今でもふと、おばあちゃんの声が聞こえたような気がして、とてもホッとします。
おばあちゃんと一緒にいたころは実感していなかったけれど「身近な人がいなくなる悲しみ」を知り、人に優しく接しようと心がけるようになりました。いつどこでどうなるか分からないんだ、できるときにできることをやっていこうと思うようになりました。何か、今まで見えなかったものが、だんだん形として表れてきたような気がします。
おばあちゃん、私に大切なことを教えてくれてありがとう。私も4月から中学生。これからも一生懸命がんばるから応援していてね。
おばあちゃんは、私の心の中でずっとずっと生き続けているよ。
都城市立山之口小学校 6年 小牧 由梨奈さん(宮崎県山之口町)からの手紙
今だから言えるありがとう。
2ヵ月前、私は突然の病気で入院する事になった。突然の事で、友達、おじいちゃんおばあちゃん、いとこ、そして家族が心配して、病院の方にかけつけてくれた。
特に、お父さん、お母さんは、ずっとそばにいてくれた。本当は、ありがとうって言わなければならないのに、なかなか言えなかった。たぶん、はずかしくて言えなかったのかもしれない。その時の思いを、私は手紙に書いてみた。
お父さん、お母さん、兄ちゃんへ
「まず、お父さん、お母さん。入院中は、毎日のように泊まってくれてありがとう。そして、毎日私のそばにいてくれてありがとう。
突然の入院でびっくりしたよね。私が病気になったせいで、運動会も出られなくてごめんね。今年は、お母さんの学校の運動会と、かさならなかったから、一緒に親子団技に出ようって言ってたのに。私も出られなくて、すごく残念だったよ。それと、6年れんぞくで全校リレーだったからっていって、お父さん、お母さんにくつを買ってもらったよね。そのくつをはいて、運動会に出られなくて、ごめんね。
お父さん、お母さん。本当の事言っていいんだよ。私が入院中、病院に来てから仕事に行ったり。本当は、きつかったんでしょ。私の前では、いつも笑顔でいてくれてありがとう。これからも、体に気をつけてお仕事がんばってね。
兄ちゃん。兄ちゃんとは、毎日のように口げんかしてて、兄ちゃんなんかきらいや、って思ってた。でも、入院してから、兄ちゃんと口げんかが、出来ないようになって、すごくさびしかったよ。いっときの間、お父さんとお母さんが、私につきっきりだったから、さびしかったでしょ。ずっと、お母さん、お父さんをとっちゃってごめんね。これからも勉強がんばってね。」
私は、家族のほかにもお礼を言わないといけない人がたくさんいる。
まず、鹿児島のおじいちゃん、おばあちゃん。
「おばあちゃんは、一回私と同じ病気になっていたから、ものすごく心配してくれたね。病院から家が遠いのに、いつものように来てくれて、うれしかったよ。ありがとうね。」
「おじいちゃんは、毎日、『大丈夫。必ず治る』って言ってくれたよね。あの言葉は、私に勇気をくれた言葉だった。ものすごくうれしかったよ。おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとうございました。」
山之口のおばあちゃんへ
「おばあちゃんは、こしが痛いのにのもかかわらず、毎日病院に来てくれたよね。私の体がきつい時は、おばあちゃんの笑顔をみるだけで、私まで笑顔になれたよ。これからも、体を大事にがんばってね。いつもありがとう。」
おばちゃんへ
「入院中は、私のお世話をたくさんしてくれて、ありがとうございました。いつの間にか、おばちゃんにたよってばっかりいる自分がいました。本当は、入院中にありがとうって言いたかったんだけど、はずかしくて、なかなか言えなかった。だから、今言うよ。ありがとう。」
友達へ
「私が入院したって聞いた時、びっくりしただろうね。ちょうど、運動会の前だったから団技やリレー。人数がたりなくて、みんなを困らせちゃったね。でも、リレーで1組に勝った時は、すごくうれしかったよ。練習をがんばった事がよく伝わった。これから卒業まで、思い出たくさん作ろう。いつもありがとう。」
先生へ
「病院に来るたびに、みんなの様子を教えてくれて、ありがとうございました。みんなの事を聞いている時間がとても楽しかったです。これからも、やさしい先生でいて下さい。」
そして、病院の方に足を運んでくださったみなさん。私は、みなさんが病院に来てくれた事がとってもうれしかったです。ありがとうございました。
筑紫女学園中学校 1年 安村 真子さん(13歳/福岡県大野城市)からの手紙
亡き祖母
おばあちゃんへ
天国はどうですか。私は元気に楽しく中学校生活を送っています。時には苦しい時もあるけれど前向きに考え、私なりに頑張っています。それは、私にはおばあちゃんとの大切な思い出があるからです。
一緒に行ったお買物で時々かわいいシールやメモ帳を買ってもらったり、一緒にお料理をしたりトランプをしたり、夕食には私の大好きなお刺し身を何回も食べさせてくれました。
思い出の中で一番心に残っているのは逆上がりです。私は、全然逆上がりができなくて、練習してもなかなかお尻が上がらず、一回も成功しないので最後には私は逆上がりをあきらめていました。でも、そんな私をいつも逆上がりの練習のために公園や近くの小学校に連れて行ってくれました。練習していても、「もうやめた。」と言って帰りたがったり、「あともうちょっと。」と言って帰りたがらなかったり、わがままな私だったけれどいつもおばあちゃんは優しく励ましてくれました。アドバイスをくれたり私の体を持ち上げてくれたりたくさん手伝いもしてくれました。そして、いつも通り何回か練習をしていると、ある時ふっと何かコツをつかむことができ、見事一回転できたのです。私も最高にうれしかったし、おばあちゃんも私と一緒に喜んでくれました。その時私はおばあちゃんのおかげで何か大切なものを得ることができました。
おばあちゃんと過ごした日々はとても楽しく、大切で素敵な思い出ばかりです。今の私はおばあちゃんのような優しくて明るくて強くて、誰からも愛されるような人ではないけれど、きっとそんな人になります。私はおばあちゃんのくれた優しい愛情を肥やしにして、これからの人生を歩んでいきます。
おばあちゃん、本当にありがとう。
おばあちゃん見習いの私 安村真子より
佐世保市立世知原中学校 1年 永吉 史典さん(13歳/長崎県佐世保市)からの手紙
とんちゃん
「ただいま。」僕が学校から帰ってくると、いつも、「おかえり。」と温かい声と出来たてのおいしいご飯を用意して待っていてくれるとんちゃん。とんちゃんが僕の家へ来て、もう10年になりますね。まだ保育園に行っていた頃からずっと僕をいつも温かく包んで、大事に大事に育ててくれました。いやなことがあった時も、理由もなく悲しがった時も、とんちゃんのそばにいると、ほっとしてほんわりした気持ちになったことを今でもはっきり覚えています。
共働きで忙しい両親のかわりにとんちゃんは、何でもしてくれました。だから僕はとんちゃんのことを一度もおばあちゃんとは呼びませんでした。とんちゃんは料理、洗濯、掃除はもちろんいろいろなことを一緒にしながら教えてくれました。「自分が言われていやなことは言わない。されていやなことはしない」「感謝の心を忘れない」「気づいたらすぐに働く」「人との出会いを大切にする」などなど、よりよく生きるために必要なことを折に触れて話してくれました。
今では、僕の方がとんちゃんより大きくなりました。台所でご飯をついでくれている小さくなった背中を見つめながらとんちゃんが、僕のそばにいてくれる幸せを今、かみしめています。とんちゃんはこの10年僕のことを第一に考えてくれました。小さい頃はそれがあたり前のように思っていたけれど、今はそれがどんなに大変なことだったのか分かるようになりました。とんちゃん、これからは自分のやりたいことを始めてみてください。とんちゃんの忙しい時には、僕がご飯も作りますよ。だけど、もう少し、僕のそばにいてください。とんちゃんのご飯は僕の元気の素。とんちゃんの笑顔は、僕の心の安定剤なんです。このごろなかなか、照れくさくて言えなかった言葉を、今、ありったけの思いをこめて伝えます。「ありがとう、そしてこれからもよろしくお願いします。」
福岡市立城香中学校 3年 小田 志穂里さん(15歳/福岡市東区)からの手紙
両親
みんなへありがとう!!
私は生まれつき耳の障害、難聴をもっています。今まで耳のことでたくさん悩んできました。例えば、水泳の時、補聴器を外すから、先生の指示が聞こえにくかったので、みんながやってるのを見て、それを真似していたら何とかなりました。学校生活では不自由だったけど、自分なりに努力をしてきたので、何とかなることが多かったです。今まで「障害」のことで最悪って思うことが何度かあったけど、正直、悩んだという自覚はないです。なぜなら、小さい頃からたくさんの努力を積み重ねてきたからです。特に両親には心配をかけてきました。中学校に入学して、困ったことができました。それは、英語のリスニングです。いつも聞き取りにくくて、半分以上、答えが合いませんでした。おもいきって先生に話すことで、別室で受験をしました。1年のテスト以来、半分以上合ったので、とても嬉しかったです。今回のことで何事も黙っていては駄目なんだと思いました。
小学校や中学校の時を思い出しても、「障害者のくせに」とか「障害に関するイジメ」もなかったと思います。理由は分からないけど、おそらく小さい頃から、みんなが理解してくれたからだと思います。
私が今思うのは自分自身のために努力することはとても大事だと思います。勉強に関してもスポーツに関してもそうです。一流の人は皆、人並み以上に努力をしてきたから、今の自分がいるんじゃないでしょうか? 確かに努力しても報われないこともあると思いますが、無駄になることはないと思います。いつかは役に立つと信じています。
私は3月に中学校を卒業します。今までみんなの支えがあったからこそ、ここまで努力でき、今の自分がいます。みなさん、本当にありがとうございました。
佐世保市立相浦中学校 3年 中野 美世子さん(15歳/長崎県佐世保市)からの手紙
ハンドボール部のみーんなへ♥
ねぇ覚えとる? 今までの3年間のこと。
ふりかえれば、あふれる程の楽しかった思い出と、つらい出来事とかたくさーんあったよね。
暑い中日焼けして、たおれる位走りまわり、汗を流しながらがむしゃらにボールを追いかけ、マネージャーのふえがなるまで頑張ったよね。
ふぶきの中のランニング、ボールも持てん位にあれた手で痛いのを、必死に必死にたえてきた。
たくさんケンカもしたばってん益々良くなるチームワーク!
学校一の仲仔(なかこ:仲の良い子)の女子ハンドボールチーム!
歴史に残る私たちのプレー。
もうこのメンバーで集まるのは少なくなるだろうけど大人になってまた集まって、お酒のもうね!
酒乱になったらだめけんね(笑)
佐世保市立相浦中学校 3年 白濱 博幸さん(15歳/長崎県佐世保市)からの手紙
卓球部のみんなへ
みんな一緒に卓球の練習してくれてありがとう。
最初の練習は、ランニングとか筋トレばっかりで大変だったね。しかも台で打つことはあまりなくて、先輩たちがうらやましかったね。2年になって、どうやって1年を教えるか話してたけど基本的な事は先輩が教えてたね。でも、オレは、そこから少し後輩に教えよったけど、あまり教えてないような感じがする。先輩たちが引退して、中体連の代表を決めるので、トーナメント戦を何回もやったね。本当にたのしかった。
女子の方は人数が少なくて、後輩が1人でしたね。でも、3年になって人数がおどろくほど増えて、よかったね。この卓球部はどの部活よりも仲よしで、チームワークがある部活だと思う。最後にぼくがキャプテンになってから、みんなにとっても助けられました。
本当にありがとう。
これからもよろしく。
佐世保市立相浦中学校 3年 井手 加奈子さん(15歳/長崎県佐世保市)からの手紙
ともだちへ
こんな私と、ともだちになってくれてありがとう、みんながいなかったら今の私はいないよ。
みんなと出会えた私はきっと幸せ者だね、みんなと出会えて本当に良かった。
私が困ってる時は助けてくれて、私が泣いている時は何も言わずにはげましてくれる。
そんなみんなに何回助けられたんだろうね、本当に本当にありがとう。
中学3年間一緒に笑って一緒に泣いてそんなふうにみんなとすごしていけたらいいなあー。
これから先、大人になって、お母さんお父さんになって、おじいちゃん、おばあちゃんになっても、 “親友”って胸はって言えるよ。
みんなの結婚式行くの楽しみだなぁー。
こんな私だけど、これから先もよろしくおねがいします。
これから先もずっとずっと「ありがとう」みんなの事大好きだよ。
佐世保市立相浦中学校 3年 濱田 ゆうきさん(15歳/長崎県佐世保市)からの手紙
バスケ部の10人に
―ありがとう―
こんな5文字の言葉でしかみんなにはウチの気持ちを表わすことはできんけど、この5文字の中には、ありえないぐらいの思い出と、気持ちがいっぱい、つまってるんよ。
中学の3年間は、バスケ部11人で一緒におった気がする。ウチのバスケの力は、ありんこのように小っさくてみんなの大きな力にいっぱいメーワクかけたね。―ごめんな―同じような言葉やけど―ありがとう―とは、全然違う。ウチが失敗してフォローしてくれた時、―ごめんな―じゃダメって事を教えてくれたのはみんなやった。こんな事教えてくれたすてきなみんなに感謝。みんなに出会えた、バスケ部に感謝。バスケに感謝。
中学最後の試合、県大会に行けるかもって所まで勝ち残って負けた。泣いた。涙なくなるかもってぐらい大泣きした。ウチはヘタクソで試合に出れんかった。みんなの力になれなくてみじめやった。でも涙のワケはそれじゃない。それもあるけど、それは1%ぐらい。あとの99%は、勝つって信じとったけん。この5人なら信じられたけん。今まで勝って、ここまで来たけん。3年のみんなが応援に来てたからもうしわけないのもあった。勝ち試合を見せてあげたかったから。いつもの相中バスケを、ウチらのバスケを見せてやれなかったから。でもはくしゅをくれたからうれしかった。でも泣いた。あの大泣きのワケはあと2ヵ月バスケできる時間がなくなったから。県大会っていう目標が消えたから。あの大きなコートでバスケできなくなったから。仲良かったから別にバスケせんでも良いとかそんなんじゃない。練習きつかったし、土日とかつぶれたけど、やっぱみんなとバスケしてるっていうのが一番だったから。それが涙のワケ。こんな事誰も口に出さんやったけど、うちら11人には、そんな言葉いらない。みんな大泣きしたし、いつまでも泣きやまなかったからわかる。泣いてない人なんていなかったから。もらい泣きじゃなくて全員が試合終了と同時に泣きだしたから。県大会に行きたかったから。
けど今、こんだけ爆笑してるのは、やっぱ3年間一緒にいたのがみんなやったけんさ。こんな事言うのは、はずかしかし、てれるから、絶対面と向かって言うのは無理やけど、今までのは全部本当の本気で本音やけん。一言でしか表わせれんけど―ありがとう―
ウチら高校別々で、これから進む道も全然違うけど、3年間一緒に、コートに立ってきた、1人もかける事なく立ちつづけたっていう事実は無くなる事は絶対ありえない。どっかの誰かに相中バスケ部って何?って言われても関係無い。ウチらは本当にバスケしよったもん。ウチらが知っとけば良くない? ずッと、いつでもいいけん集まってバスケしようなッ。
最後になってわるいけど…
こんなウチでも一緒におってくれてありがとう。
すてきな最高の思い出ありがとう。
―ありがとう―
これからもよろしくな。
佐世保市立相浦中学校 3年 児島 里香さん(15歳/長崎県佐世保市)からの手紙
友達へ
ありがとう
うちは、Hando部のみんなが大好きです。どんなに辛い時も支えあってきたし、沢山の涙も流したね。
喧嘩もしたし、大声で笑いあったりもした。うちは、みんなからいい思い出をもらってすごく嬉しいです。本当みんなに「ありがとう」を伝えたい。
その中でも1番伝えたいのは、Hand部のキャプテンでもあり、うちの心友のさやか。
うちとさやかは、いつも部活がおわったあと遊んでて、うちの家に行って昼寝したり、いろんな話もしたね。
さやかの家に行った時は、ゲームをしたり、外でバドミントンしたりして遊んでたね。あれまぢ楽しかった。いつも一緒におってくれるさやかは、うちが何かで悩んでいるとき、必ず相談にのってくれて、さやかなりのアドバイスをくれたりしてくれたね。あんときはすごく嬉しかったよ。さやかもうちをたよりにしてくれてそれも嬉しかった。そいで、うちらは何でも話せる仲になったんよね。
さやかがいきなり「転校する」って言ったとき、うちはその場で泣きくずれたけん。言葉にできんくらい悲しくて、「嫌だ!!」としか言えんくて、泣くしかできんかった。でも、うちが泣くとさやかも泣くやん。だから「もう、さやかの前で泣かん」って決めたっさ。まず、うちはさやかによろこんでもらおうと思ってパーティーを計画した。おかしもジュースも沢山買ってうちの家に集って、飲み食いしまくったね。あれだけあった食べ物がすぐになくなってしまったのは、ビックリもんやった。写真も沢山とって、いい思い出になったね。みんな解散の時泣いて、うちは頑張ってこらえようとしたけど、泣いてしまったね。みんなが帰ったあとも部屋で泣いた。
「泣かない」って決めたからには頑張ってガマンしたけど無理やった。
さやかには、今まで沢山の思い出をもらったし、めいわくもかけたね。本当に「ありがとう」の気持ちでいっぱいだよ。
さやかの優しい所、おもしろい所、全部大好きだよ。少し遠い所に行っちゃったけど、また逢おうね。
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