ペンネーム:ななちゃんさん(30歳)からの手紙
主人へ
あなたへ
今年の夏、待ち焦がれた私達の赤ちゃんが誕生するね。まさか私がまた妊婦になるなんて、あなたのおかげ。
バツイチの私は、DVでの最悪な別れのせいか、幼い頃に母を泣かす父ばかり見てきたせいか、男は女の敵だと思ってた。男は女を奴隷のように扱うものだと思ってた。女はそれに耐え日陰で泣きはらすものだと思ってた。あなたに会うまでは。あなたに拾われるまでは。物のように扱われ、私のすべてを奪われ、否定され、体中に傷を受け、ののしられ…何度「殺される」と思ったか。何度「殺してやろう」と思ったか。子供を連れて「死んでしまおう」と何度思ったか。
でも、この悪夢のような日々を、今、いい経験だったと思う事ができるのは、すべてあなたのおかげ。私を大切に思ってくれる人っていたんだね。他人の子を我が子のように愛してくれる人っていたんだね。自分の存在価値がわからず、何の為に生きているのかわからず、自暴自棄になって心の限界を感じた時、壊れる寸前で、あなたは私たちを救ってくれたね。神様が舞い降りたと思ったよ。こんな私が、もう一度、恋をするなんて。春のような日々が訪れるなんて。まして、ストレスで体がボロボロになり、「妊娠は不可能に近い」と言われていた私に、あなたとの宝物が宿るなんて。
私の中で、あなたとの出会いは奇跡そのもので、神様の存在を確信する出来事だった。普通、女の人って幸せになりたいと願うのかな? 今の私は違うよ。「あなたを幸せにしたい」。私たちの救世主となったあなたに、今度は、幸せを与えたい。
「ありがとう」の一言に、私と子供の精一杯の思いを込めて、誰よりも何よりも大きく、明るく、温かく、色んな思いを込めて、改めて「ありがとう」。生きていく意味さえ見失おうとしていた毎日に光を与えてくれてありがとう。
日を重ねるごとに、あなたにますます恋しています。
谷口 景子さん(30歳/福岡県直方市)からの手紙
娘へ(夢乙ムツギ)
夢乙(ムツギ)へ
2006年10月25日その日から、君を抱きしめたくてもできなくなりました。2004年12月18日君は誕生しました。お母さんは赤ちゃんがほしくてほしくて神様に毎日お願いしました。そして夢乙と出会えました。お父さんはもちろん、おじいちゃんもおばあちゃんもみんなが望んだ君です。君の名前は夢乙(ムツギ)、夢をもちつづける乙女です。お父さんが考えてくれました。とてもかっこよくて、お母さんはとても好きです。君は小さな頃から、とても“おりこうさん”でした。ミルクはいっぱい飲んでくれて、夜泣きもなくぐっすり朝までねてくれて、ぐんぐん大きくなってくれました。7ヵ月の頃から、保育園に通い始めましたよね。お母さんは少し不安でした。一人っ子の君お友達と仲良くできるのかわがままばかり言うのではないか。でも、君は人に優しくする事をおぼえ一人で歩く事、服を着がえる事、いろんな事を教わってきました。お兄ちゃんやお姉ちゃんたちからもたくさん可愛がってもらって遊んでもらいましたね。
君が病気になると、お母さんは仕事を休みます。そんな時、君と2人で過ごす時間が増えたようで少しうれしかった。君を一人じめできたようで…肺炎で入院した時も2人でのお泊り楽しかったね。1才の夏頃からは、ぜんそくも出ず、体調もすこぶる元気で、そんな君を、水族館につれていってみました。言葉が少しずつ上手になってきた君が新しくおぼえたのは「かめ」という意味の「かー」。それからは絵本やTVでかめを見る度に「かー」と大きな声でおしえてくれましたね。「おとーしゃん」「おかーしゃん」そんな風に言葉をおぼえていった君が一番最初に言ったのは、「ナイト」でした。君が産まれる前からいた犬のナイト、君の良き遊び相手でした。もみくちゃにされようがねているところを起こされようが追いかけ回されても、君にだけは、ぜったいにおこる事はなく、いつもされるがままでした。そんな「ナイト」のおかげで君は、動物大好きのミニムツゴロウさんでしたね。
人より成長は遅いかもしれない、それでも良かった。君は君のペースで少しずつ大きくなってくれればその分君と一緒に過ごせる時間はもっと長かっただろうから。でも、10月25日の朝「おはよう」のあいさつも無いまま、君は永遠にねむったまま、お母さんが抱っこできない遠い所へ一人で行ったのね。こんなお母さんでごめんね。守ってあげれなくて…こんなお母さんで良かったですか? 君を幸せにしてあげる予定が、お母さんが本当に幸せな1年10ヵ月を過ごさせてもらいました。君の小さな手のぬくもり、かわいい泣き顔、ステキな笑顔すべてから、幸せを、もらいました。ありがとう、君のお母さんになれて本当に良かった。大切な時間、楽しい時間、想い出をありがとう。今度生まれ変わる時もお母さんの子供で生まれてきてね。それまでは、君の名前にもある夢で会いましょう。ありがとう夢乙ありがとう。
むっちゃんを大好きなお母さんより
ありあっとさん(31歳/佐賀県唐津市)からの手紙
母
母さん、辛かったよね? 病院のトイレでひとり倒れていたんだもん。苦しかったよね…。伝えたい言葉があったのに。
倒れていた母さんの胸ポケットにお守りが入っていたね。見覚えのあるお守り。ポケットに入っていたっていうか、安全ピンでとめてあった。落とさないように…母さんらしい。お守りよれよれになってるよ。これじゃ効き目もなくなるさ。
でも、お守り大事に肌身離さずもっててくれたんだね。ありがとう。
善通寺っていう四国の大きなお寺で買ってきたんだ。仕事の合間に。今までそんなことしたことなかったのに。母さんにお守り買わなくっちゃって、虫の知らせかな? 時間がないから走ってお守りの売ってあるところを探したよ。一番素敵な色のお守りを選んだつもり。母さんの好きな紫じゃなくてごめんね。
それから、境内にお参りにいこうとおもって向かったけど、お守り買ったからいいやって踵(きびす)をかえして、仕事に戻ったよ。母さん…ちゃんとお参りしてたら、少しずつ少しずつ運命が変わって、母さん死なずにすんだかな?
目が覚めたら全部夢だったってならないかな? そしたら、真っ先に伝えるよ。「ありがとう」って。ちょっと甘すぎる卵焼きだって、おいしいって全部食べてしまうさ。
母さん…。生んでくれてありがとう、今まで育ててくれてありがとう、ううん、きのきいた枕詞なんて要らないから。
ただただ伝えたい。
「ありがとう 母さんありがとう」
ペンネーム:台風一家さん(32歳/福岡県太宰府市)からの手紙
お父さん、お母さんへ(両親へ)
お父さん、お母さんへ
結婚して、もうすぐ10年が経とうとしています。3人の子供に恵まれ、夫と共に忙しくも日々楽しく過ごしています。毎年、年賀状に書こうと思っている感謝の気持ち、なかなか照れくさくて書けずにいます。
昨年、とうとう60歳を迎えたお父さん、毎日元気に働いて、母と2人で鍼灸院の経営、がんばってますね。私が3歳の頃かな、3つ下に弟が生まれてすぐ、目を患い、私が中学生になるまで入院と寮生活で別々に暮らしていたけど、寂しかった幼少時代も大阪生まれの明るいお母さんが車の免許をとって、いろんな所へ連れて行ってくれました。お父さんの病室や、海に近い盲学校へ週末迎えに行く時は少しスピードが速かった気がします。
私が就職して結婚するまでの6年間、弟の野球の試合や魚釣り、一緒に出掛けたね。夫である彼を初めて家に連れて来た時、お父さんにたくさん飲まされて、泊まることになったの、覚えてますか。あの日から今でも実家へ行くと子供より先に寝ちゃうのが当たり前になってるよ。夏が近づくとキャンプの計画を立てる両親、一緒にすごせなかった小学生時代を孫も巻き込んで取り戻そうとしている私たち親子かもしれないね。結婚式では両親への感謝の手紙なんてお互い恥ずかしいから無しにしようと書けなかったけど、自分が親になってわかる、親のありがたさ。それと同時に親であることの大変さを身をもって体験している今、多くの困難を乗り越え、私達兄弟を大きくしてくれた両親に心からありがとうを伝えたいと思います。3人の子供を授かれた健康な体と障害である目を理由にせず、前向きに生きる姿勢を両親が与え、教えてくれた。
今年の年賀状には「夫婦仲良しが一番!!」と夫のグチをこぼす私に書いてくれてたね。ありがとう、大丈夫だよ。幸せに暮らしています。
ペンネーム:つるちゃん(32歳/福岡県太宰府市)からの手紙
お父さん
お父さんへ
元気にしてますか? お酒を飲みすぎてはいないですか? 今ね、育児休暇中で今まで出来なかった有意義な時間を子供と過ごしています。日々、よく思う事があるんだよね…。“親という仕事は難しい”って言ってたあの言葉が少しずつわかる気がするの。お父さんから見れば、まだ私ははじまったばかりだけどね。私はお父さんとお母さんに“鐘の音のようにゴーンとまっすぐで人に左右されず個性的な人間になってほしい”と名前をつけてもらった。そんな私も子供に“自分の信じた道をすすめば人は自然とあなたに集まってくるように”と願いを込めて命名した。
まだ、私はその名前にこたえることができているかどうかはわからない。
ただ、自分に自信がもてたことは確かに…実感してるの。
よく小さい頃、家族4人でトランプで遊んだよね。なぜか一番年下の私が勝つゲームが1つだけあった。私の記憶力に目をつけたお父さんとお母さんはよく私を誉めてくれた。私はうれしくて…そのゲームばかりしよう!っていってたでしょ? 本当にうれしかったの。お父さんが幼い私にわからない様にわざと負けてくれていたこと、そんなことも知らずに…大喜びしてた…それも何十年も。そして、「お父さんはなんでもわかるんだぞー」って一休さんみたいに坊主頭をなでなでして私が学校で何をしたか…どんな勉強をしているか、今日の給食のメニューとかよく当ててたよね…。いまだにどうやって知ったんだろうと思うことがあるんだよねー。どうしてなの? お父さん…。
ただ言えることは、それだけ私の事を見つめていてくれたこと、たくさんの愛の中で私が育ったということ…。
これから、お父さんが私にしてくれた様に、深い大きな愛で子供を見守りたい。どんなに人から必要とされているか…誰にも負けないあなたらしいいい所があるということを伝えていけるように頑張るから。お父さん、上から見ててね…。たまには一休さんのトンチでアドバイスしてよ。頼むね。
また手紙書きます。あと、返事はいらないよ、お父さんにありがとうを言いたかっただけだから…。
「お父さん、ありがとう」
娘より
神野 朋子さん(33歳/福岡県太宰府市)からの手紙
娘 菜奈(なな)へ
ねぇ、菜奈。このレターセット、覚えてる? 菜奈が、「どうしても欲しい」と言って、売り場から動かずに、ずっと、握りしめていた、レターセットだよ。でも、家に帰ると全く興味を示さなかったよね。菜奈が、字が書けるようになったら、渡そうと思っていたの。でもね、今日、菜奈に手紙を書こうと思ったから、お母さんに、1セット、ちょうだいね!
あのね、お母さん、ふと、知りたくなって、「菜奈の宝物は何?」って聞いてみたら、「一番の宝物は菜奈だよ。」って、菜奈が言ったんだよ。
てっきり、大好きなキャラクターの名前が出てくると思っていたから、お母さん、びっくりしちゃったよ。まさか、自分自身が宝物だなんてね…。
「どうして、菜奈が宝物なの?」と理由を聞きながら、涙が溢れて止まらなかったよ。「どうしたの?」と、心配そうに覗き込む菜奈に、「大丈夫よ。」って答えるのが精一杯だったよ。でも、あれは、悲しくて泣いたんじゃなくて、あまりにも嬉しかったからなの。
「だって、お母さんの宝物は、菜奈でしょう? 宝物がなくなったら、お母さんが、悲しむから、菜奈は、お母さんの宝物を大切にするよ。だから、菜奈の一番の宝物は菜奈で、二番がお母さん。」
まさか、3歳の菜奈が、こんな風に、思ってくれていたなんて。その、小さな体、全部でお母さんの事を、思ってくれているんだね。素直な、菜奈の言葉だから、嘘偽りない言葉。その優しさで、お母さんの心は、いつもぽかぽかだよ。
字が読めるようになって、この手紙を読んだら、菜奈、どう思うかな? 菜奈が、初めて話した言葉や、数多くの素敵な言葉も、全部、日記に書いているから、一緒に読もうね! 懐かしくて、嬉しくて、お母さん、また、泣いちゃいそうだけど、そんな日がくるのを、心待ちにしているからね!
菜奈、生まれてきてくれて、ありがとう。
お母さんを、母親に選んでくれて、本当に、ありがとう。
お母さんの宝物の菜奈へ
お母さんより
ペンネーム:月のリングさん(34歳/福岡市博多区)からの手紙
姉・義兄
お元気ですか?
お姉ちゃんに手紙を書くのは、本当に十数年振りですね。いつもは何だか照れてなかなか言いだせない『ありがとう』の気持ちを伝えたくて、パソコンに向かっています。
小さい頃、私の『障害児通園施設』にお母さんが付き添っていて、家には誰もいないから幼稚園から帰って来ても自分ひとりで鍵を開けていたことを、ずっと後になって聞きました。寂しい思いをさせてごめんね。小学生の時は勉強もスポーツもいつも私の分まで頑張ってくれて、誰にでも慕われるお姉ちゃんは私にとって憧れでした。だけど今になって思えば、障害者の妹がいたから、「私がしっかりしなきゃ!」という気持ちだったんだよね。そんなふうにお姉ちゃんは私の知らないところでずっと頑張ってきたんだよね。それなのに私はお姉ちゃんの気持ちに少しも気づこうとしないで、ケンカすると泣いて困らせて、本当に私はわがままな妹でした。
お姉ちゃんがお兄ちゃん(義兄)との結婚話が持ち上がった時、私の障害が原因で駄目になったりしないかって心配してた私にお姉ちゃんが言った言葉が忘れられません。
「もしも妹が障害者だからって、結婚を断るような人だったら姉ちゃんのほうから振ってやるけん、心配しなさんなって」
この時、私はお姉ちゃんの妹で本当に良かったと思いました。
初めてお喋りした時、私の言語障害に一瞬の戸惑いも見せなかった…あの頃と変わらない優しさで接してくれるお兄ちゃん。
今でも私が何かに悩んでいる時には「大丈夫ね?」と心配してくれる…。お兄ちゃんと初めて出会ってから13年。私は今本当の『兄妹』になれたような気がして、嬉しく思っています。
私が脳性麻痺という障害を持って産まれ、今まで頑張ってこれたのも、お姉ちゃんとお兄ちゃんの支えがあったからこそ…。心から感謝しています。
今まで、『ありがとう』そしてこれからも『よろしく!』
月のリングより
ペンネーム:野花さん(34歳/福岡市南区)からの手紙
父へ
お父さんへ
毎月12日の月命日に会いに行っていますが私の事、見に来てくれていますか。お父さんと会いたい時に会えるようになって季節は2回変わりました。お父さんと離れて16年。私は大学に行かせてもらい、やりたかった仕事に就き、適齢期は過ぎましたが私に合うパートナーと出会い、今は日常のちょっとした事が幸せだなぁと感じる日々を送っています。
お父さんと別れる事になったあの日、お父さんは私に涙を流しながら「結婚式には呼んでくれなぁ。」と言いましたね。その言葉はずっと心に秘めていましたが現実には私の口から「お父さんを結婚式に呼びたい。」と言う事はできませんでした。本当にごめんなさい。ただ、こんなに早くお父さんとの永遠の別れが来るとは思っておらず、近い将来、少し成長した私が少し年とったかなぁと思われるお父さんに会いにいける日が必ず来ると思っていました。そして私のお父さんであった事、本当に優しさ一杯で私たちを育ててくれた事、離れていて会えなくてもいつも私たちの事を思っていてくれていた事に「ありがとう」で一杯の気持ちを伝えたいと思っていました。もう一度会って。この「ありがとう」を言えなかった後悔は一生消えないと思います。一生、心の中で言い続けていくと思います。
弟が春に結婚し、新しい家庭を築いていく事になりましたよ。お父さんが「息子の嫁に会いたい。」とずっと気にしていたと聞き、弟も意を固めたようです。背中を押してくれたんだね。ありがとう。この前、二人で会いに行ったようですがどうでしたか、息子のお嫁さんは。
では、また会いに行きますね。今度は忘れずに大好きだったお酒を持参しますね。あまり飲ませたくないけど…。まだまだ話したい事が山のようにあるのでまた、お便りします。
大好きなお父さんへ 娘より
ペンネーム:あってんしゃいさん(35歳/福岡市早良区)からの手紙
夫
元気ですか?
毎日一緒に生活してるけど、育児や家事に追われ、私はあなたの体調の変化に気付いてあげる事が出来ているでしょうか?
悩み事はありませんか?
決していい妻ではありませんが、時には頼りにして下さいね。だって今、私が心から笑うことができるのは、あなたのおかげなのですから…。
私があなたに手紙を書くのは、あの時以来2年ぶりでしょうか? 覚えていますか?
私はあなたに「『私が一緒に死んで』とお願いしたら、きっとだまってうなずいてくれるでしょう」という内容の手紙を書きましたね。こんな病気になってしまって離婚されても仕方がないと思い、あなたの愛を確かめたかったのだと思います。もちろん、やっとの思いで授かった我が子を残してそんな事をする気は絶対なかったけど、抗がん剤の副作用でなかなか高熱がひかない中、絶望感でいっぱいでした。どうして私が、どうして私だけが…?と夜一人で声を殺して泣きました。子供が大好きで、子供と遊ぶのが大好きで保育士になり、何百人という子供と接してきたのに何故、たった一人の我が子と一緒にいられないのかと。悔しくて悔しくて。
でもそんな暗闇にあなたが優しい光をくれました。あなたは、私の前では決して涙を見せません。どんな時も「大丈夫、大丈夫」と優しさの中にいつも強さを感じていました。それをいいことに、ずいぶんわがままを言った様な気がします。私は病室から帰る時のあなたの笑顔と小刻みに手を振る姿が好きでした。あなたの方がずっとずっと不安だったでしょうに。
いつも励まし続けてくれて、本当にありがとう。何度言っても足りないくらいありがとう。私の為に仕事辞めてくれて、毎日、病院に来てくれて、子供の様子を教えてくれて、笑い話を届けてくれて、帽子やパジャマを買ってきてくれて、一緒にリハビリしてくれて。
この2年間私はあなたに甘えっぱなしですね。これからは、あなたの優しさにこたえる為にも前向きに生きていく事を誓います。そう、私は運がいいのだから。私は白血病になってしまったけど、たまたま行った歯科で病気が見つかった事、子供が9ヵ月だった為、人見知りもなくすぐに私の両親との生活に慣れた事。素晴らしい病院と先生にめぐり逢えた事。ドナーが見つかり、骨髄移植できた事。同じ病気と闘う仲間と出会い、友達がたくさん出来た事。そして何といってもあなたと結婚していた事。
ありがとう。本当にありがとう。心から「ありがとうございます」。感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも家族3人、明るく楽しく仲良く生きましょう。私は「奇跡」を信じます。
10年先も 20年先も 50年先も ずっとあなたの妻でいたいから。
これからもどうぞ末長くよろしくお願いします。
大好きなあなたへ
ペンネーム:小林 円さん(36歳/福岡県志摩町)からの手紙
病気で亡くなった父へ送ります
わたしの心の中のお父さんへ
お父さんお久しぶりです。会えなくなってもう9年近くもたつのですね。退院するからと連絡してくれた電話の向こうで「ありがとう。」と言ってくれた日のことを覚えていますか? 家族にはなぜかすごい照れ屋さんでしたから、大変勇気のいることだったでしょう。
お父さんはいつも周りの人のことを考え、自分のことは後回しでしたね。そしてクールに見えて実はとても心の温かい人でした。なんだか誉めてばかりだけど照れずに読んでくださいよ。
あのね。お父さんにとっても感謝していることがあるんです。もう忘れてしまっていると思うけど、言うね。私が子どもの頃よく厳しい言葉で叱ったり、言い聞かせたりしていたでしょう。私は幼くて意味がよく理解できず、「お父さんってすぐ怒るなぁ…」としか思ってなかった。でも自分も親になり、子どもを育てるようになって気づいたんだ。お父さんのかけてくれた言葉が、私の心の中で強く、そして優しく支えてくれているってこと。悲しみや困難にぶつかる度に、あの厳しかった言葉が物事の本質や、自分自身を省みることを教えてくれています。
「私、あの人好かん。」と言えば、「人のこと悪く言う暇があるとなら自分の悪かとこばなおさんか!」とすぐ怒る。「あーだったら、こーだったらいいなぁ。」と言えば、「たらはないぞ!」とまた怒る。ちっとも話にのってこないから子どもの頃はちょぴり煙たかったなぁ。でも今は思える。父親というよりも、社会の先輩として、私に心の成長をたくさんして欲しかったんだよね。自分中心に物事を考えず、周りの人たちへの感謝の気持ちを忘れないこと。自分の良いと思う考えや行動に、勇気と信念を持つこと。
私は年を重ねてゆくごとに、姿こそ見えないけど、お父さんの愛情を強く感じています。だから、安心して下さい。残してくれた深い言葉たちに励まされながら、今を大切に生きています。私もお父さん似で家族には照れ屋ですから、1回しか言わないよ。驚かないで聞いてね。
「お父さん、愛情いっぱいの言葉を たくさんかけてくれて 本当にありがとう。」
ペンネーム:風の騎士勝也さん(36歳/福岡市西区)からの手紙
母・フジ子
「母さんと、鰻の骨せんべい」
六畳と八畳くらいのお城、普通のデスクより小さめの折り畳みテーブル 家族4人寄りそってテレビ見ながら、語らいながら、囲い合って食べた食卓、部屋一面にしいた布団、それと当時としては、最先端の折り畳めないホットカーペット、ストーブはあぶないからと、母さんが用意してくれた。無論 折り畳めないから 年中しきっぱなし、冬は、毛布ふっかけて、潜りっこしたよ。
ありがとう。わかってる事だけど、あの頃僕は、寒くて 学校に行かなかったんじゃないんだ、母さん、あの時、ごめんなさい。登校拒否…ただうらやましかっただけなんだ、生活に不満が無かったと言えば嘘になるけど…ただ、クラスの子たちの玩具(おもちゃ)がほしかった、みんなより背が大きくなりたかった、僕にも親父がほしかった、どうにもなんない事わかってた、でもね、でもね、母さんは、精一杯の愛情を3兄弟に降り注ぎ、その為だけに 精一杯、汗と涙を流し、僕らの為に 働いてくれた。いつかわざと母さんが、僕らに 働いてる姿を見せてくれた事、覚えてるよ、会社横の駐車場から 見てたよ、駄菓子の「首チョンパ」食べながら…玩具(おもちゃ)のついたあのお菓子、探してるけど見つからない、だけど僕の心の、「首チョンパ」があるってことは、それだけ母さんが、素晴らしいって思ってたからだよ、会社の掃除せっせとしてた、トイレまで…毎日毎日、家事と仕事 ずっとずっと言えなかった ありがとうが たくさんある。4つの時、父さんが事故で死んで、ずっとずっと母さん一人で、僕らを守ってくれてた。小さい僕をおぶってくれた。母さんの背中、大きくて、暖(あった)かかった。いつだって僕たちの味方。今、母さんの背中、小さく見えるけど、けどね、母さん、僕は、そんな母さんの暖(あたた)かさに、出合えてよかった。生まれてきた事を ありがとう。そんなこんな僕も…今年で37、いまだに独身、だから素直に言えないありがとうがある。ただ、今、この時、この瞬間、言いたい、ありがとうもある。この命、あるから…母さん。
中村 弘子さん(38歳/福岡県筑紫野市)からの手紙
両親
両親へ
お父さん、お母さん、お元気でしょうか? 今、私は、主人、子供二人の4人で毎日を精一ぱい生きています。たまに一人でボーッとしていると小さい頃の自分を思い出しながら、どんなにお父さんとお母さんに私が愛されていたかを、この年になって感じています。
お父さんはタクシーの運転手という大変な仕事につきながら、夜勤あけで帰ってきても必ず私たちと、朝ごはんを食べてくれ、学校に送り出してくれましたよね。お母さんが疲れて、朝起きれない時は、お父さんが、パンをやいてくれたり食事の用意をしてくれました。
その他、休みの時は、せんたく、くつ洗い、主婦のするようなこともいやな顔をせずしてくれてた事も思い出されます。
お母さんは私が私立の高校に行った為、少しでも給料のいい夜勤の仕事に代えて10年間一度も休むことなく頑張って働いてくれました。決してゆうふくではなかった生活だったけど、一度たりとも、お金のことで恥をかくような事もなく、必要なものも、すべて、買いあたえてもらいました。子供心に、頭にこびりついているお父さんの言葉があります。「どんな仕事をしていても、働いたぶんは、お金は、もらえる。よっぽどどろぼうとかして、お金をもってくる方が世間には、はずかしい事!」。なるほどーっと私は思いました。仕事にはずかしいは、ないんだと。こういうことをへて、今の私があります。色々、二人におそわった事などたくさんありすぎて、言い表せません。
この様に、お父さんとお母さんには、数知れず、迷惑かけてきたり、相談にのってもらったりと幸せな時間を、38年間も、もらいました。でも、今となっては、このようなお礼も、二人には言えません。昨年3月と5月に二人共他界。66歳と68歳のまだ、これからという時の死。突然すぎて言葉にならなかったです。まだ今だに信じられない状態です。今から、本当の親孝行をしなければと思っていました。
あの日、もう少し話しとけば良かった…あの日やさしい声をかけとけば良かった…あの日…あの日… 全部が後悔と反省で、やりきれない気持ちでいっぱいになります。
いつかは、この思いが少しでも軽くなり晴れる日がくる事を願いながらお父さんとお母さんに心配をさせないように親子4人力を合わせて生きていきます。
そして、いつか、お父さんとお母さんに会えた時、あの時言えなかった御礼を、必ず言いたいと思います。その時まで二人仲良く待ってて下さい。
お父さんとお母さんの子供、弘子より
ペンネーム:森山日美子さん(39歳/福岡市東区)からの手紙
人生のパートナーである主人に
出逢いは20歳の頃だった。私たち…若かったね。福岡にいるあなたから愛媛にいる私に手紙が届いたの、覚えてるかな?
「遠く離れていると心配になる。何をしているのか、どんな事を考えているのか、誰(男)と会っているのか…。そんな時はどうしたらいいんだろう…」
付きあっているわけでもないのに、こんなこと聞いてくるなんてね。
あの頃からあなたの気持ちには気付いていたよ。でも、…告白されたわけでもなかったから返事に困ってしまって…「誰でもいい、ただ恋愛したいと思っているなら身近な恋を探せばいい。でも、その人があなたにとってかけがえのない大切な人ならば、心配するよりもその人と信頼関係を深めなくちゃね。」って返事したっけ…。
友達のまま私たちの文通は途絶え、私は就職をして環境がどんどん変化して多忙だったけれど、それでもあなたのことが忘れられなかった。そんなある日、大きな封書が届いた。最後の手紙が届いた日から5年以上がたっていた。
「ずっと勉強ばかりして孤独だったけれど、とうとう夢をかなえたよ。君が応援してくれていると信じていたから。試験に合格して、つらい訓練を乗り越えてやっと一人前になり、こうして報告することができた。この職場のパンフレットに僕が選ばれて載ったのは、これを君に見せるために神様からのプレゼントなんだ。」
ページを開くと、見開きの中央にあなたがいた。突然の贈り物に心が震えて、懐しいあなたが涙で見えなかった…。
今こうして3人の娘たちに囲まれて一緒に暮らしていることが夢のようです。そんなあなたに、心から感謝の気持ちを伝えたい。私を見つけてくれてありがとう。私を思い続けてくれてありがとう。
今つらい壁が私たちの試練として立ちはだかっているけれど、きっとふたりで乗り越えられると信じています。
ずっとこれからもあなたを支えていきますね。
ペンネーム:40才さん(39歳/福岡市博多区)からの手紙
わたしへ
拝啓
沈丁花の豊潤で甘く酸っぱい香りが、鼻孔をくすぐる頃となりました。
「わたし」におかれましては、お元気でいらっしゃいますか。季節毎に彩られる草花のエネルギーを受けとれるほど、年を重ね、命を感じているそうですね。
その一方で、子育てばかりの毎日に、退屈し、「わたし」への不信を募らせているのですか? 贅沢なことをしたり、3人の娘たちの健康な笑顔に、その飢えを満たす温もりを感じることができないのですか。友人の活躍への嫉妬ですか。焦燥感ですか。「わたし」を過信し、いつも根拠のない自信に満ちていた若さにため息のでる思いでしょう。もうすぐ40歳。おめでとう。この40年間、無意味だったことは、ひとつとしてありません。むしろそれがあるから面白い。そのことがこれからのエネルギーになりますよ。あなただけが迷っているのではありません。もっと雲のように、漂ってみましょう。「わたし」の匂いが、見えるでしょう。孤独なんてないですよ。重くなった心の扉を少しだけ開いたら、皆、覗きにくるでしょう。
幸せは自分で見つけて感じるか感じないか、で、たくさんにもなります。退屈を感じられるほど幸せなことはありません。あなたは、あなたでいいんです。
心が苛立つと、感謝する余裕もなくなります。すべてを敵にした時、「ありがとう」なんて、口にも出せなかったでしょう。
日本人であることに安堵する「ありがとう」の響き。心を揺らすほどに素直に「ありがとう」と言える時が、「わたし」が輝ける時です。この世の中のすべてが生きていること、その中で「わたし」が生かされていることに「ありがとう」。今の「わたし」へ「ありがとう」と言えた「わたし」へ「ありがとう。」
かしこ 平成19年2月
|
トップ
|
ありがとうの手紙
|
ありがとうの森
|