加田 亜里紗さん(16歳/福岡県大牟田市)からの手紙
亡くなった母方の祖母
大好きなあなたへ
もし、今、あなたと話すことができるなら、私は伝えきれなかった「ありがとう」を伝えたいです。
もしもし、聞こえていますか。目には見えないけれど、あなたは私のそばにいてくれてる気がするので、「ありがとう」を伝えます。
おばぁちゃん、あなたが亡くなってまだ2週間も経ちませんね。今幸せですか。がんは苦しかったから、楽になれてよかったと思います。まずは、「ありがとう」の前に「ごめんね」を伝えなくてはなりません。最期を見てあげれなくて、ごめんね。病院から帰ってしまったことを本当に後悔しています。もっとたくさん「ごめんね」と伝えたいけれど、「ありがとう」をもっともっと伝えたかったです。なかなか、面と向かって伝えきれず、伝えきれないまま、あなたは旅立ってしまいました。だから、今さらだけど、今だからこそ言える「ありがとう」があると思いました。
おばぁちゃん、あなたと過ごした16年間は、あなたなしではありえなかったと思います。両親共働きの私たち姉弟の面倒を見てくれて本当にうれしかったです。家に帰ったらいつもあなたがいてくれました。そして常に私の味方でいてくれてどんなに心強かったことでしょう。毎日たくさんの愛情を注いでくれましたね。「あーちゃん」と私を呼ぶあなたの笑顔が今にも戻ってきそうで、あなたの死に顔を見ることができませんでした。あなたが意識のなくなっていく時に最後に発した「あーちゃん、大学に行かんばよ」という言葉は今でも耳に残っているし、一生忘れることができないと思います。最後の最後まで、私を心から愛してくれて、本当に本当にうれしかったです。いつもは言わなかったけど、私おばぁちゃんのこと大好きです。今までありがとうございました。そしてこれからも、ずっとそばで私を愛してください。またね。
波多江 恵さん(19歳/福岡県筑後市)からの手紙
すべての人へ
「すべての人へ」
私は、この春ようやく高校3年生になります。高校生活としては5年目です。この5年間は、今まで生きてきた19年間の中でとても大切な5年間です。
英語科2年の時の担任だったリオス先生、進路について迷い始めたきっかけは、「今からでも遅くない」という先生の言葉でした。この一言で、自分の夢を諦めない決心をしました。しかし、私は既に進路を間違っていました。それが分かってから、退学と再入学を考えました。先生は、一番最後まで退学に反対でしたね。でも、一番応援してくれたのも先生でした。私にとって先生は、それまでとは違う世界の見方を教えてくれた人です。問題児だった私の背中を押してくれてありがとうございました。そして、先生との約束「3年後に自分の志望した進路を叶えること」を果たせるように残り1年を大切に頑張ります。
それから、お父さん・お母さん。約2年前、いきなり高校を辞めるって言い出して、驚かせてごめんね。どうしても医療の仕事がしたかったの。でも、英語科ではどんなに頑張っても、理系教科が無かったから前に進むことができなかった。だけど、リオス先生と話すうちに、まだ高校に再入学して頑張れるんじゃないかと思ったんだ。一般的に考えて、退学は履歴にひびくし、2カ年留年って珍し過ぎるよね。私もそう思うよ。でもね、頑張るなら一番厳しい道を選ぼうって考えたんだ。それらを乗り越えた時、精神的にも強くなれるかもしれないと思ったから。口には出さなかったけど少しは反対してたよね? でも、私の事を信じて応援してくれてありがとう。この選択をして後悔してないよ。常に夢に向かって前向きに頑張れるから。もう1年、私が夢をつかめるように応援してね。
私は、2年も留年している自分は人間関係が上手くいくのは難しいだろうと思っていました。しかし、それは私の先入観でした。実際、学年・学科を超えたたくさんの人が、2カ年留年していることを認めたうえで今の私を支えてくれています。こんなすてきな人たちに囲まれて、私はとても幸せです。今まで出会ったすべての人へ…本当にありがとう。
植木 哲さん(17歳/福岡県大牟田市)からの手紙
友達
ありがとう
ありがとう。今この言葉を一番心を込めて伝えたいのは、周りでいつも私を支えてくれている友達に対してです。友達はある意味、先生方や親よりも私を支えてくれ、仲間として受け入れてくれる大切な存在です。2学期の期末試験。私が問題を起こしてしまった時もそうでした。私は「吹奏楽部」に入っています。私が入っている吹奏楽部は上手い下手でいうと、とてもレベルの高い方であり、マーチングでは全国大会に出場するほどのハードな部活です。私はその中で確かな友達を見つけることができ、その人たちに対する友情も感じることができました。私は2学期の期末試験で「カンニング」という行為を犯してしまい、停学処分を受けました。カンニングという問題行動は、本当にあってはいけないことで、その行動により私は周りの人たちからの信用も、親しかった関係もすべて裏切ってしまいました。その行為で部活にも「部活停止になるかもしれない」という不安も与えてしまいました。私は停学部屋で毎日の担任指導のもと、家では親とも話していきながら、反省をする日々が続きました。その時、もう部活には戻れないなあとも考えていました。
しかし、吹奏楽部の友達、またクラスの友達、みんなが停学期間を終えた私を、仲間として、自分たちの友達として受け入れてくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ずっとその停学期間中、私は不安で、みんなとまた友達、仲間として過ごしていけるか心配していました。カンニングという最も卑劣な行為をしてしまい、もちろん親や、先生方から、何度も厳しい言葉で指導を受けていたことですっかり毎日気持ちもしずんでただただ停学中の仕事をこなしていました。だから周りの友達に受け入れてもらった時は本当にうれしかったです。みんな、ありがとう。
平田 華子さん(17歳/福岡県大牟田市)からの手紙
自然
『自然へありがとう』
私たち人間や、生物が必要とする毎日の新鮮なおいしい空気をありがとう。
夏に気温を下げたり、作物の育成や、渇水防止のための恵みの雨をありがとう。
一日の元気の源となったり、洗濯物やお布団を心地よく乾かしてくれる、太陽をありがとう。
鉛筆や家などに必要な木材や、マイナスイオンで人々が安心できる場所、森林をありがとう。
海水浴や、私たちの食材となる魚が泳ぐ、大きな海をありがとう。
プレゼントに送ったり、部屋に飾ったりできて、優しい気持ちにさせてくれるきれいなお花をありがとう。
頂上に登る喜びや、絶景な景色が見れる、大きな高い山をありがとう。
作物を育てたり、生き物の住家にもなる大地や土をありがとう。
夜にきれいに輝き光る星をありがとう。
時には満月に、あるいは三日月に変わる、夜の太陽の存在である、きれいなお月様をありがとう。
冬ならではの大イベントの雪合戦や、スキー、スケートなどを楽しむことができる、真白な雪。
栄養たっぷり入っていて、私たちの食料となり、健康な体にすることに必要とする、シャキシャキとした新鮮な緑黄色野菜をありがとう。
私たち人間や、生物がよく食べ、栄養もとれ、とってもおいしいお魚をありがとう。
春には、ポカポカ陽気になり、夏には、むし暑くなり、秋には、肌寒くなり、冬には、とても寒くなるといった春夏秋冬といった、とてもすばらしい四季をありがとう。
私たちが生きている喜びや楽しさ、悲しみやつらさを感じる場所、生きる場所、全部まとめて、地球をありがとう。
自然へ『ありがとう』。
中山 智佳さん(17歳/福岡県柳川市)からの手紙
今でも大切な友達
私がまだ小さい頃、目の前で仲良しだった友達を失いました。その日は、私の誕生日でとても仲の良い友達と一緒に帰りました。帰り道の途中で、悲しいことが起こってしまいました。信号で止まってた私たち二人は、青になったので、歩道を渡りました。すると、急に車が飛び出してきたのです。一瞬のでき事でした。雨で視界が悪くて、車がでてきていたことを全く知らなかった私をおもいっきり押してくれた友達は、目の前で車にひかれました。私は友達の血で真っ赤に染まり、気がついたら、ベッドの上でした。その日は雨が強く降っていて、とても視界が悪かったです。今思うと、本当にその時はひどかったです。自分で、仲良しだった友達の命を奪ったようなものなのに、私は、友達のことも自分のことも覚えてなかったのです。1カ月ぐらい記憶をなくしてました。しかし、記憶を取り戻していくたび、嘆き苦しみました。そんな私を救ったのは、友達の母親が言った、「生きて。」のたった一言でした。その一言は、他のどんな励ましの言葉より、私の心に強く残り、そしてとても重い一言でした。『生きる』ということは簡単なように見えますが、実は、困難で難しいことなのです。ちょっとしたささいな感情ですぐ折れてしまいます。だからこそ、私は強く生きたいと思います。私は、この友達の死から多くの大切なことを学びました。友達には何一つ教えられなかったけど、これから生きていくことで伝えていこうと思っています。
昔の自分は何も分かりませんでした。でも、今の自分だからこそ、『生きる』ということの大切さ、痛さ、そしてその道の険しさを理解できます。あの時、なぜ友達が私を助けたのか、その理由が今では少しだけ分かる気がします。
昔は言うことはできませんでした。でも、今だからこそ言えることがあります。「私を助けてくれて、ありがとうございました。」と。
蓬田 瞳さん(18歳/福岡県大川市)からの手紙
ペットの猫のコロ
コロちゃん、ありがとう。天国に行ってしまったけど、ずっと私を見守っててね。
私が生まれる前から、コロちゃんは我が家にいたね。お母さんから何故飼われる事になったのか、聞いたよ。コロちゃん、ブリーダーの家の子にイタズラされたんだってね。私、本当にコロちゃんで良かったと思ってる。だってコロちゃんは、私の良き相談相手だったし、何よりお父さんやお母さんが仕事で夜遅くに帰ってくる時、私の親がわりだったね。本当にありがとう。ずっとずっと忘れないよ。
私が小学3年生の時、転校先の学校でイジメられて泣いてたのを、コロちゃんはいつも見てたよね。ワーワー泣いて「なんで私がイジメられな、いかんの」って言ってた時も、何も言わず側にいてくれた。私、あの時コロちゃんが側に居てくれなかったら自殺してたのかもしれない。希望とか生きる糧を失ってたのかもしれないよ。だけど、コロちゃんが居てくれたおかげで、私はこうして生きていられることができた。お母さん達が仕事で遅くなって、私淋しくて泣いていた時もずっと横でちょこんと座ってたね。私、今でも覚えてるよ。
でもある日、学校から帰ってきたらコロちゃんがフラフラして玄関に迎えに来てくれたよね。朝は元気だったのに、急に体調悪くなったよね。そして、その日がコロちゃんの最期の日だったよね。私、コロちゃんが死んだ瞬間に一緒に居れなかった事、今でも自分を責めてるよ。コロちゃんは私やお母さんに見守られて死にたかったんだよね。私がいなくて淋しかったんだよね。ちょうど2階でお兄ちゃんの友達と遊んでたからだよ。ごめんね。
コロちゃんの命日は1999年1月30日だよね。毎年その時期になるとコロちゃんが好きだったバラを1本買ってくるよ。そしてコロちゃんと一緒に過ごした時を思い出すよ。
本当にコロちゃんありがとう。淋しい時や辛い時があっても私、乗り越えてみせるから。
ペンネーム:リンゴ牛乳さん(18歳/福岡県大牟田市)からの手紙
両親
お父さんとお母さんへ。
いつもご飯を食べさせてくれてありがとう。お母さんは、朝いつも起こしてくれてありがとう。朝ごはん作ってくれてありがとう。あたしの欲しいものを買ってくれてありがとう。お父さんは、お仕事頑張ってくれてありがとう。車で迎えに来てくれてありがとう。
いっぱいありがとう。いっぱいありがとう。でも、来年から私は東京に行きます。東京で一人暮らしをします。先生にとても反対されたけど、お母さんも反対したけれど、私は夢を追いかけることにしました。“しました”だなんて偉そうなこと言えません。お父さんとお母さんに追いかけさせてもらいました。夢は追いかけ続けていれば必ず叶う、と部活の顧問の先生が言ってくれました。私もそうだと信じています。何年、何十年かかってでも絶対こうなると心に決めれば、そうなれると思っています。ただし努力は絶対です。努力して、努力して、努力した人が夢を叶えられるんです。私もその人になります。お父さん、お母さん見ていてください。私は頑張ります。一生に命を懸けて頑張り、頑張ります。だから、まだもう少し待っててください。まだ時間がかかるみたいです。どうか、体に気をつけてください。あんまり無理しないでください。
お父さんはあまり何も言わないけれど、一番に私のことを心配してくれてありがとう。二人とも、私を産んで、育てて、かわいがってくれてありがとう。感謝なんて言葉では伝え切れません。本当にありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ペンネーム:神之朱鷺さん(18歳/福岡県柳川市)からの手紙
お母さんへ
いつも迷惑ばかりかけてごめん。でも、いっぱいいっぱいありがとう。
産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
いつもグチ聞いてくれてありがとう。
心配してくれてありがとう。怒ってくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
20歳でお父さんと結婚して、20歳であたしを産んで、大変だったよね。お母さんの成人式の時にはもうあたしがおなかの中にいたし、たぶんぜんぜん遊べなかったよね。
もうすぐお母さんがあたしを産んだ歳になる。今、「14才の母」ってドラマがあってるけど、できちゃった婚だったお母さんたちも大変だったのかな。反対とかされたかな。お母さんがあの時、あたしを産んでくれなかったらって思うとすごく恐い…。だから本当に産んでくれてありがとう。
来年の4月。あたしはあの家を出て、結婚する。まだちゃんとは言ってなかったね。ごめん。でも、決めたから。年が明けて落ちついたころにお母さんたちに話そうって、今言ってるところ。どうせ就職で家を出るし、ちょうどいいかなと思ってさ。あたしの理想はお母さんだから、早く結婚したいって思ってたしね。あ、別にできちゃったからとかじゃないからね。そこは勘違いしないように!
いつまでもお父さんと、熱すぎず冷たすぎず、あたたかいおふろみたいな二人でいて下さい。二人はあたしの理想だから。
でも、ムリはしないように! 少しくらい、あたしたちにあたってもいいから、ムリだけはしないで。お母さんがあたしたちを見てくれてるように、あたしたちも見てるんだから、すぐわかるよ。一人で抱えこまないで少しは頼ってね。何処に行っても、誰と結婚しても、あたしはお母さんの娘なんだから。
大好きなお母さんへ、いっぱいいっぱいありがとう。あなたを愛する娘より。
ペンネーム:ルルさん(19歳/大分県大分市)からの手紙
母
お母さんへ
2月も終わりに近付いてきて暖かくなってきたね。元気に過ごしていますか? 私は相変わらず元気に過ごしているよ。お母さんとお父さんの元を離れてもう1年がたつね。高校生の頃まではワガママばかり言っていつも困らせていたね。高校3年の頃模試の結果を見せなかったり、模試の結果が悪い時にいつもお母さんにあたってて今思えばすごく幼かったと思います。お母さんが8年前腎不全になって入退院を繰り返していた時、その病気がどんなに苦しいものなのか小学生だった私には分からなくて、授業参観に来てとか運動会に来てとかお母さんの体調のことが分からなくて無理ばかり言ってたけれど、お母さんは外泊届を出して見に来てくれていた事がすごくうれしかったよ。8年たった今お母さんは週3回病院に通って透析をしていて、うでにある注射の針のあとがすごく痛々しいけれど、お母さんは苦しくても、痛くても、平気な顔をして私たち兄弟3人に心配をかけまいとしてるけど、もう無理はしなくていいよ。お母さんの偉大さは私たちが一番に認めているよ。来年の1月には私も成人式を迎えて、大人の仲間入りをするね。その時の晴舞台を絶対お母さんには見て欲しい。これからの人生の節目の中に常にお母さんがいて欲しいよ。無理はしないでね。今までこんなワガママ娘を育ててくれてありがとう。これからも私たち兄弟を見守っていてね。
ペンネーム:A-Kさん(19歳/福岡市博多区)からの手紙
顔を見ることもできなかった中絶した赤ちゃん、「みらい」
みらいへ ママより
みらい、初めまして! あなたのママです。みらい、ママの元にやってきてくれて本当にありがとう。ママね、みらいができるまで知らなかった。自分がどれだけ幸せで、どれだけ好きな人に愛されていて、どれだけあなたが欲しかったのかを…。みらいがママに教えてくれたんだよ。バカだよね、ママ。こんなになって気づくなんて。もっと早く気づくことができていたら、最初っから分かっていれば、あなたを大切にできたのに。ずっと一緒にいれたのに…。
みらい、あなたはとても小さいから、ママのことを忘れてしまうかもしれない。ううん、もし覚えていたとしてもママのことを恨むようになってしまうかもしれない。でもね、これだけは忘れないでほしいの。ママがどんなにあなたを愛しているのかを。あなたの顔をどんなに見たいと思っているのかを。みらい、ごめんね…産んであげられなくて。ママは、みらいを愛しているよ。ママらしいことなんて何一つできなかったけど、それでもあなたを思う気持ちは本物だよ。
ママがつわりで寝込んでいた時、あなたによく声をかけていたの、覚えてる? あの時、きつかったけど、苦しかったけど、みらいと一緒だと思えたから頑張れた。病院で点滴をうってた時も「ごめんね」と言いながら泣いちゃったよね。あなたとの思い出は、少ないかもしれないけど一つ一つが大事で、一生忘れることができないモノばかりだよ。全てあなたがママにくれたプレゼントだね! あなたがママにくれたものの代わりに、ママとパパからあなたへ、最初で最後のプレゼント。「みらい」という名です。次に生まれてくる時には良い未来がありますように、という意味だよ。みらい、ママの子供でいてくれてありがとう。みらいが幸せになるよう、いつも祈っています。みらい…愛してる。さようなら。平成18年11月14日 〜END〜
はじめまして。今回、貴社の募集が目に留まり、どうしても書きたくなりました。「ありがとうの手紙」との主旨とは違うかもしれません。でも、どうしてもこの気持ちを表したくて記しました。実際、この手紙を書いた日は昨年の11月14日、これは中絶手術当日の朝でした。あの時の悔しさ、むなしさは一生忘れることはないでしょう。生きていることがつらく、自殺を図ったりもしていました。その時助けてくれたのは、みらいの父にあたる、彼氏でした。彼の存在もあり、今も何とか生きていけます。この手紙を通し、私の気持ちが少しでも伝わって、同じようなことを繰り返さないよう、祈っています。 平成19年1月25日
ペンネーム:chocさん(福岡県大牟田市)からの手紙
両親
お父さん、お母さん、たくさんの愛をありがとう。
私は、好きな人を亡くして、やっと二人の愛情に気づいたんだ。18歳にしてやっと。彼が亡くなった時、私も後を追ってしまおうかと思った。若かったんだね。そんな考えしか浮かばなくて、ただただ現実を受け入れられずに泣いたんだ。私は、あの時のコトをあんまり覚えてないよ。意識が戻ってきたのは、お父さんに抱きしめられて、お母さんと抱きあったときだと思う。悲しいのとは違う涙が溢れてきた。ものすごく悲しくて、ものすごくきついのに、すごく温かくなっていったのを覚えてる。今ならわかるよ。あれは愛情だったんだね。
あの人が亡くなって、二人と向き合う時間が長くなってきて、初めて、私は私の本心を話したね。私は、何度も何度も自分の人生を終わらせようとした。運動も勉強も中途半端で何もできない。それなら、いないほうがマシだと思った。生きることが苦しくて、次の日になるのが怖くて、深い暗い闇に襲われた。あがいてもあがいてもどんどん、ぬかるみにはまっていった。死ぬのに足りないのは勇気だけだと。泣きながらお母さんは言ってくれたよね。「あなたが生きててくれるだけでいい。お父さんもお母さんも、あんたたち以外何もいらんとよ。元気で、笑顔で生きとって。」涙が止まらなかった。私は、両親の大きな愛をどうやって返したらいいかわからなくて、受け入れるのが怖かったんだって気づいた。一生懸命生きていくことが、一番の親孝行なんだね。大好きな人を失って、大好きな両親の愛に気づくなんて、変な話かもしれない。だけど、気づくことができて、本当によかった。二人の子供で幸せだと思ってる。改めて言うのは恥ずかしいから手紙で言うね。
お父さんとお母さんのたくさんの愛に感謝します。ありがとう。
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