ペンネーム:友里さん(23歳/福岡市東区)からの手紙
お父さん
今日は少しだけお父さんの話をしようと思う。私が幼稚園生の頃、お父さんは毎週日曜日、野球をするためにグラウンドまでバイクに乗って行っていた。
私はお父さんのバイクに乗るのが大好きだった。バイクに乗る時は一つだけ、約束事がある。お父さんのジャンパーのポケットから決して手を出してはいけない。お父さんの背中にギュっと顔を押し当てて、幾つもの景色を眺めた。赤信号で止まると、時々、お父さんは後ろを振り向いて、笑いかけてくれる。私は少しも怖くはなかった。野球帰りのお父さんは、いつも泥くさくて、汗のにおいがした。
お父さんのバイクに乗らなくなったのはいつからだろう。そう考えたのは恋人のバイクに乗った時で、恋人からは流行りの香水のにおいがした。
お父さんは、今はもう、バイクには乗らない。けれど、今でもお父さんは、野球をしている。今でもお父さんは時々、泥くさくて、汗くさい。お父さんのバイクに乗ることは、もうきっとない。
一面の菜の花畑。桜の並木道。定食屋の焼きうどん。グラウンドの土埃。お父さんとの思い出は、いつも日曜日。いつもバイクの上で。私は少しも怖くはなかった。
そっと、お父さんのジャンパーのポケットに手を入れる。泥くさくて、汗くさくて、温かい。
お父さん、ありがとう。私は少しも怖くはないんだよ。
ペンネーム:コロさん(24歳/福岡県飯塚市)からの手紙
ばあちゃん
「自分の足でしっかり立つんよ。」「うん…」「いいね? せ〜の。」「…」「上手。上手。はい。そのまま腰かけて。そう、そのままトイレしていいよ。」。これが、貴女と私の休日のいつもの会話ですね。もう何年こうやっているのでしょう? どれくらい前は、私が貴女からこうやってトイレに連れて行ってもらっていたのでしょう?
貴女はほがらかでおおらかで温かくて働き者でそして料理上手でしたね。あんなにしっかりしていた貴女が突然入院した病室の白い壁を見て、「雪がたいそう降りよう。」と、言った夏の日を忘れもしません。あれから退院しても病気は徐々に貴女を蝕んでいきましたね。歩くこともつらくて何度も休憩しながら歩きましたね。それでも私の高校受験の時、じいちゃんと優子姉ちゃんと神社にお参りに行ってくれたのですね。あの神社の坂道は急で疲れたでしょう? 寒かったでしょう? あの坂道を自分の足で登って、あのさくら色のお守りを買ってきてくれたのですね。「愛ちゃんに桜が咲きますように。」と、お願いをして。今の貴女は調子の良い時にしか「愛ちゃん」と呼んではくれないけれど、私は無事に高校、大学まで卒業する事ができましたよ。
時々、貴女はベッドに寝たまま、お得意の金時豆をたいていますね。私はしょっちゅう、出来上がることのない金時豆の火加減を台所まで見に行かなくてはなりません。「上手にたけちょったよ。」「そんなことなかろーも。」。そう。貴女は昔から謙虚でしたね。いろんな事がガラリと変わったけれど、変わっていない事もたくさんありますね。おやつは必ず半分を分けてくれるし、散髪好きもお風呂好きなところも変わりませんね。
ばあちゃん。貴女は今、どんな気持ちで介護されているの? 貴女の性格からして料理も洗濯も掃除もできずに、ほぼベッドの上で過ごす今の生活は苦しくてつらくて悔しいものでしょうね。
だけど、私たち家族は貴女の存在の大きさに気づき、少しでも貴女の喜ぶ顔が見たくて貴女を介護しています。あたりまえで何でもないことに気持ちが和みます。貴女の「おいしい。」という言葉。「おはよう。おやすみ。」の言葉。「気をつけて帰りなさい。」の言葉。そして「ありがとう。」の言葉。こちらこそ。貴女がいなければ今の私はいないのです。心から伝えたい。「ばあちゃん。ありがとう。」
ペンネーム:Marikaさん(25歳/福岡市中央区)からの手紙
母
母
マーミィがいたから生きてこれた。生きなきゃって必死に生きてこれた。昔、何度も何度も「死にたい」って言ったよね。アメリカから帰国して、日本の勉強についていけなくて、それにクラスメートから「生意気な帰国子女」って言われて上履きを隠されたり色んないじめをうけて学校では強がって笑ってたけど、泣きはらした目で家に帰ると真っ先にマーミィが私の異変に気付いてくれた。日本の生活に慣れるのは大変だったけど、マーミィは一歩一歩前進して「負けてたまるか!」と必死にもがいて成長していくこんな私を時には厳しく、時には心強い言葉で励まして隣にいてくれたよね。いつも挫折ばかりの私だけど「貴女の根性だけは認めるわよ。」って笑って肩をたたいてくれるマーミィの存在が常に私の支えでした。
ただ一つ、秘密があります。ずっと打ち明けられなかったこと。中学3年の時、たった一度だけ死を選んだこと。悔しくて、皆と違う高校に行きたくて必死に頑張った初めての受験で失敗した時だった。努力が報われなかったことに生きる意味を見出せなくなってた。でも「死」に手を伸ばした瞬間、マーミィの言葉が聞こえてきたんです。
「大丈夫、神様はちゃんと見ててくれるから。」
そのマーミィの一言のお陰で今でもこうして私が元気に生きていられるんです。そうだよね、人間必死に頑張っていれば神様が見捨てるはずがない。
いつか「今まで人に傷つけられた分、人の心を、人の命を救いたい。」と言って、医の道を志し始めた時もマーミィは喜んで応援してくれたね。受験に失敗しても浪人しても、人間関係でうまくいかない時も、生きているのが嫌になってくじけていても、マーミィの厳しい言葉の裏に常に大きな愛情を感じていました。
一緒に笑って、一緒に泣いて、私を育ててくれた私の世界一の良き理解者、マーミィ。私はあなたの子供で良かった。本当に本当にありがとう。
ペンネーム:裕美さん(25歳/福岡県八女市)からの手紙
お母さんへ♥
お母さんへ♥
お元気ですが? また手紙を書いちゃいました。私は元気にしています。言わなくても、いつもそばにいるから分かるよね。でも、私が家でよく泣いているから、心配してるでしょ?
お母さんが台所で料理をしている時、私の学校での出来事や友達のこととか、毎日のように話してたよね。私は、台所で話を聞いてもらえることが、すごく嬉しかったし、1番安心出来た場所だったよ。たまに邪魔者扱いされてたけどね。
それが出来なくなってから、私はこうやって手紙を書くようになりました。お母さんは、書くのは苦手だけど読むのは好きな人だったから。
私は25歳になりました。あれからもうすぐ8年です。あっという間に25歳になってしまったよ。もうお母さんの半分は生きてるんだね。
私がカラオケで演歌をよく歌うのは、きっとお母さんがいつも聞いてたからだろうね。私が料理が今イチ出来ないのは、いつもしゃべりかけるばっかりで、手伝いをしなかったからかなぁ?
今、ようやく、お母さんのことを笑って話せるようになりました。今までは、笑っていても心は泣いてたってこと、お母さんにはバレていたかもね。お母さんにはかなわないや。
お母さんが最期に言った『ありがとう』という言葉。私は、恥ずかしくて照れくさくて、最期に言えなかった『ありがとう』の言葉。
今、ようやく胸を張って言えます。
自分を表現するのが苦手で、それで傷付いたこともあったよ。でも、今は強くなりました。強くなれました。私の周りの人たちみんなのおかげです。私を生んでくれたお母さんのおかげです。
私は、私でよかったです。お母さんの子で良かったです。
お母さんに紹介したい友達が沢山いるので、また手紙書くね。これからも見守っていて下さい。いつも、ありがとう♥♥♥ 裕美より
城戸 直子さん(25歳/福岡市早良区)からの手紙
母方の父(祖父)
拝啓 おじいちゃん
そちらの暮らしは、どうですか? 会った事のないおじいちゃんに手紙を書くなんて初めてで少し緊張します。おばあちゃんが亡くなり、今は二人で仲良く過ごしていますか? 私や母の事、見えるのでしょうか。もし、そうなら詳しい説明は、いりませんね。そう、私と母は目下けんか中です。
両親が離婚して、母は一人で私達3人を育ててくれました。兄も姉も今は家を出て、私と母の二人暮らしは6年目です。ことある度にけんかです。原因も様々。おじいちゃん譲りでしょうか。私達は簡単に折れない頑固者です。けんか中は、私は部屋にこもり、母は台所で大きな音を立てて皿洗いをします。この様子を上から見ると、情けないでしょう。
おじいちゃん、母は覚えているでしょうか。帰りの遅い母を小学生の私は泣きながら外で待っていたことを。母は帰ると、頭をなでてくれました。あんなに大好きだった母を今はこんなに憎むなんて。嫌いになった訳でもないのに。どうしてだろう。周りから母を大切に、と言われます。母を大切にするってどうすればいいのだろう。
本当は、私も悪いと思うんです。頭では、よく分かっています。でも素直に謝れなくて心とは裏腹な言葉や態度で更に亀裂を深めてしまいます。私と母は線路の様に平行線上にいるみたいです。
先日、ふと母の後ろ姿を見ました。それは私が憎んでいる姿ではなく、小さな頼りない背中でした。改めて食べた母の料理は優しい味がして、思わず涙があふれてきました。私も母と同じ背中をしていたのかもしれません。
素直になれない孫をどうか許してください。おじいちゃんのみぞ知る私の気持ち。手紙を書いたら、少し勇気が湧いてきました。今なら母に素直になれそうです。これからも、心配でしょうが、見守っていてくださいね。ここまで読んでくれてありがとう。かしこ
ペンネーム:ピヨさん(26歳/福岡市南区)からの手紙
父
お父さんへ
福岡にでてきて早いもので8年という月日が経ったね。旅立ってきた日のことを今でも鮮明に覚えているよ。本当は一人で行く予定だったのに、心配でお父さんついてきてくれたよね。駅のホームで友達に見送られるときは期待あふれる気持ちでいっぱいで笑って手を振っていたけど、汽車が走り出し、だんだんと地元から離れていくと胸にこみ上げてくるものがあって、たちまち目の前が涙で見えなくて、すすり泣く声をお父さんに聞かれまいと必死でこらえたよ。きっと気づいてたんだろうけど、気づかないフリをしてくれてありがとね。
福岡に到着して嬉しい気持ち反面、「このまま時がとまってしまえば!」という気持ちでした。お父さんも一人娘をこれから生活していく家にひとり残していかなければいけないという複雑な気持ちだったんだろうね。別れ際は絶対に涙を流さないようにしようと心に決めて玄関で見送ったあと、ドアの小さな窓にくいいるようにくっついて、お父さんの後姿を見えなくなるまで見てたよ。いつもは大きく見える背中もなぜだか少し丸まっていたようにも見えました。
涙が止まらなかった。一人ぼっちで声をあげて泣いた夜を今でも覚えています。
こんなにも愛されていたことを実感した日でもありました。
8年が過ぎた今でも週末に必ず入ってくる「元気か??」メール。時に面倒くさくって返信しないと、これでもかっていうくらいメールと電話の嵐。反省してます。でもね、本当はメールないと寂しいんだよ。たった1行のメールでも温かさと愛情がたっぷり詰まったメールありがとうね。
いつも陰で私を見守って、必要なときに背中をおしてくれたり、支えてくれたり、本当に感謝してます。ありがとう。
「いろいろあったけど今が一番幸せだ。」って前に言ってたよね。私もいつかそんな風に言えるお父さんみたいに生きたいです。これからも偉大なお父さんを尊敬し続けることでしょう。
そういえばもうすぐ還暦だね。鹿児島に行きたいって言ってたから連れてってあげる! 楽しみにしててね。最後になるけど、たばこは吸いすぎないで体を大事にしてね。
これからもお母さんと二人仲良くこの先の人生楽しんでください。
お父さんの娘に生まれてきて本当に良かった。 ありがとう。 ピヨより
ペンネーム:むすこさん(27歳/福岡県二丈郡)からの手紙
おかあさん
おかあさん
俺にはずっと不思議でならなかった。
どうしてあなたはそんなに俺にかまう? どうしてそんなに俺のことを心配する? どうして俺のことを信用する?「俺なんて産まなきゃよかったのに」と暴言を吐きあなたを泣かせたこともあるのに。
最近、やっと分かってきたよあなたの気持ちが。こんなに遅く気づいてごめん。中学生の時、万引きで捕まった俺を泣きながら怒ってくれたね。高校生の時は荒れた生活を送っていて何度も学校へ呼び出されて悲しい思いをさせてしまったね。当時はいつも喧嘩ばかりして自分の強さを誇示しようとしてた。だから周りの人はみんな俺に愛想笑いばかりで友達なんて誰もいなかった。
そんな時でもあなたはいつも満面の笑みを浮かべて接してくれた。卒業してからもふらふら遊びまわる毎日で将来のことなど何も考えてなかった俺。
そんな俺を山登りに誘ってくれたことがあったね。頂上で食べたあなたが作ってくれたおにぎり。とてもおいしかったよ。景色も最高だったよね。でも一番心に残っているのは、あなたが「大丈夫だよ。ゆっくり目標を探しなさい。」って言ってくれたことだよ。
いつも真剣に俺に接してくれるあなたを見てると俺自身も変わらないといけないと思えるようになってきた。いつも笑顔のあなたを見ていると、俺まで不思議と笑えるようになってきた。いまさらだけど、これが親子の絆ってやつなのかと気づいたよ。
やっとまともな生活を送り出して少しは心配させてしまうことは減ったかな? でも俺には最大の目標があるんだ。今まであなたに流させてしまった悲し涙以上の嬉し涙をあなたに流させること。
なんかくさい言葉を言ってごめんな(笑)。本当にあなたには文章で書ききれないぐらい感謝してるんだ。と言っても照れくさくて口ではなかなか素直な気持ちを伝えられない。早く言えるようになりたい。
これから一生かけて親孝行をするよ。でもとりあえず、俺も一番好きな言葉を送らせてね。「お母さん、ありがとう。」
池永 裕美さん(27歳/福岡県太宰府市)からの手紙
主人(パパ)
「言葉に出せないありがとう」
私は、今、とても幸せを感じています。その幸せを与えてくれているのは私の家族です。やさしい主人と笑顔のたえない娘です。こうして、しみじみ思うのは私たちが結婚して3年半、順風満帆ではなかったからです。結婚をしようと決めたのも、二人とも実家の為に働いている事もあり、このままでは、親の為だけに人生が終わってしまうと思い、二人で新しい家庭を作る事にしました。そんな事情もあり、ほとんど0(ゼロ)からのスタートになりました。二人で必死に働きお金を貯めて、主人の会社の社宅に移り月に1回、貯めたお金で家具を揃えていきました。二人で本当に切り詰めた生活を送り、あまったお金で今月は指輪を買い、来月は新婚旅行に行き、次は結婚写真を撮りっと二人で決めていた、これだけはやろうと考えた事は、無事に終わり、安心した時に妊娠が分かり、うれしさと不安がよぎりました。でも、小さな命の為に、二人で、もっともっと頑張ろうと心にきめ、出産費用や、子供の準備品のお金の為にこれよりもいっそう切り詰めた生活を送りました。その甲斐あって、子供が産まれる2ヵ月前にすべて揃える事が出来ました。
そして、出産の日、主人は仕事、私は一人で出産に挑みました。初めての事で不安だらけだったけれど、パパも私のおなかにいる子供も頑張ってくれてると思うだけで心強かった。娘が産まれた事をパパにも電話で伝えると、「よく頑張ったね。ご苦労さん。」とやさしい温かい声が聞こえた。ジワーと胸が熱くなって涙が出た。次の日、娘は、小児科に入院させられてしまった。検査の結果、血液の病気だと分かった。私は、ショックとこれから育てていけるのかという不安から、毎日、泣いて暮らした。その時に、パパが「ぜったい病気を治してやる。おれたち、二人を選んで産まれてきた子や、大丈夫、命をかけても大きく育てる。」と言ってくれた。その言葉を聞いて私もどんな事があっても病気と戦い、治してみせると思った。何度か入院して、そのたびに文句も言わず、仕事で疲れてるのに、笑顔で見舞いにきてくれるパパ、そんなパパに私も娘も元気をもらっています。これから大きな手術もしないといけないけれど、私たち家族三人ならのりこえていける。私が心も体も強くなれたのは、主人と娘のおかげだと思います。病気なんてウソじゃないっていうぐらい元気に成長している娘。娘のねがおを見ながら、主人と二人で、「よくここまで二人だけの力で頑張ってきたね。二人でよくやったね。」とはげましあいながら、お互いをいたわっています。毎日、朝早くから夜遅くまで仕事をして、休みもあまりないのに私と娘の為に頑張ってくれて家にいる時はよく笑わせてくれて、とてもやさしいパパ。これからも、いろいろな困難があるかもしれないけれど、私たちなら、手をとりあって生きて行ける。言葉に出しては、なかなか言えないけれど、パパに出会えて良かった。そして太陽みたいな子供をさずけてくれて感謝しています。これからもよろしくね。家族三人仲良くやっていこう! 最後に、毎日、思っています、ありがとう。
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